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震災復興ボランティア活動報告Part2

今回は、NPO法人「遠野まごころネット」の方々と一緒に行なった具体的なボランティア活動のことや、そこで知り合った人々の情報をお届けいたします。

今回の活動場所
気仙町上長部地区に到着。
 

 一関の宿を出て車で約40分走ると陸前高田市に入ります。さらに5分ほど走ると、今回ボランティア活動をする場所・気仙町上長部地区があります。そこは長閑な小さな漁村でした。昨年3月の津波が、漁師さんたちの生活の全てを一瞬にしてもぎ取って行きました。1年経った今でも、漁港は津波の被害で壊滅状態のまま。一部の船を除いては、全く機能していませんでした。船を修復したり寄贈されたり助成金を受けて、少しづつではありますが、何とか漁に出られるようになっている漁師さんたちもいらっしゃいました。ワカメ漁も復活し、お魚工場も新しく建てかえられて稼動もしていましたが、復興には、まだまだ遠い道のりがあることを、現地を見て痛感しました。

 漁港を背に、海から1・5キロ位のところに「長部ふれあい広場」があります。今回の活動拠点となる場所です。津波は海から押し寄せ、数キロ離れた山里にも被害を及ぼしました。ふれあい広場も、津波が襲ってきた場所に建設さています。山肌を見ると津波が襲ってきたところが削られているのがよく分かります。上長部地区でも、十数名の方々が犠牲になりお亡くなりになっています。そこには、慰霊の碑が立てられていました。その横には公民館を建設する予定になっているそうです。

ふれあい広場の前のグラウンドで
少年野球をやっていました。

 ふれあい広場の前に、ボランティアの方々によりグラウンドが作られていました。そこで、地元の少年が野球をしている光景を見ました。彼らの通う学校には仮設住宅が建てられ、運動する場所がありません。だから仮設のグラウンドを作り、少年達が運動できるようにしています。元気に野球をして走り回っている少年達を見ていると少しほっとしますが、怖い思いをして今でも大変な体験をしているのだと思うと涙がこぼれそうになります。
 
 翌日には、そのグラウンドで地元のおじいちゃん達がグラウンドゴルフをしていました。おじいちゃんに「一緒にやろう」と誘われましたが、ボランティア活動優先でお断りさせていただきました。(笑)
 またその隣には、ボランティアの方々により畑が作られていました。畑を作った目的は、引きこもっているおじいちゃんやおばあちゃんに、いかにして家から外に出てもらうかという課題を解決するためです。

 1年経った今でこそ、少しは活力を取り戻し、外に出て運動したり活動をしたりできるお年寄りが増えましたが、被災当初は、働く場所・住む家を失い、また愛する人たちを亡くされて、かなり精神的に落ち込み、外に出る気力も無く家に引きこもってしまう人たちが多くいらっしゃいました。畑を作ることによって、地元のお年寄りが畑を見に来るようになり、素人がやっている姿を見てアドバイスをするようになり、「そんなんじゃダメだ」と言って手伝うようになったそうです。今では、近所のお年寄りの方々が畑の面倒を見ているそうです。そして個人所有だった畑の復興も始まりました。そのボランティア活動は、後ほど紹介します。

NPO法人遠野まごころネットの
スタッフにお話を聞きました。

 ふれあい広場にて、「遠野まごころネット」のスタッフの方々とお会いしました。そのスタッフの中の1人、稲田さんに色々なお話をお伺いすることができましたのでご紹介します。稲田さんは、新潟県の方です。中越地震の時、稲田さんは東京に住み、お仕事をされていたので、故郷が震災にあってもボランティア活動が出来なかったそうです。その時のボランティア活動をされていた方々の姿を見て、深く感謝をすると同時に、自分がその活動に参加できなかったことを悔しく思っていたそうです。
 
 今回、東日本大震災が起こり、いても立ってもいられなくなり、すぐに行動しました。東京から岩手県遠野市に入り、有志の方々と一緒にボランティア団体を結成し、陸前高田市で活動を開始。その後、そのボランティア団体はNPO法人「遠野まごころネット」として設立され、そのスタッフの一員として幅広くボランティア活動をされています。

 震災当初は、市役所も津波で流され、職員の方々も、かなりの方がお亡くなりになっていたので、ボランティア活動を指揮する人がいなくて大混乱をきたしていたそうです。救援物資が届きボランティアの人々は集まってくるけど、その物資を割り振る指示を出せる人(リーダー)が不在だったのです。テレビ放送では、物資が余っているという報道もされていましたね。余っていたのではなく、届けられていなかったということです。

 そこで、行政ボランティアが行動できずにいる中、民間ボランティアの「まごころネット」のメンバーは、自分達の判断で、物資を被災地に届けることが出来たそうです。縦割りの行政システムでは、緊急時の迅速な対応には、限界があるんだなと思いました。被災地に、即時緊急センターを配置し、ボランティア活動を指揮できる人を派遣することは出来なかったのでしょうか?近年起こった、神戸の地震や中越地震の教訓が活かされてないように思いました。

 1年経った今でも、行政システムは、フル活動されていないようです。大規模な瓦礫撤去や仮説住宅の建設などはすすんでいますが、被災地の現場のニーズを拾いきれていません。被災地は、大きな市や町だけではなく、近郊の小さな村々もあります。炊き出しや物資がほとんど届いていない地域も沢山あるそうです。

 稲田さんたちは、何ヶ月もかけて、歩いて被災地を回っています。宿泊所は被災された方々のお家に泊めてもらい、色々なお話をじっくり聞きます。被災者の方々の口は重く、ニーズを聞き出せるまで時間がかかるそうです。なぜなら、被災者の方々は、ボランティアが、何をしてくれるのか分からないことと、してもらおうとは思っていないからです。丁寧に話を聞き、話し合うことが出来てやっとポツリポツリと困っていることを話し始めるそうです。この地方の方々は、本当に謙虚で、辛抱強い方が多いんだなと感じました。テレビを見ていても、そのことが感じられる場面が多々ありました。

初めての作業は
側溝の土砂撤去でした。

 津波の土砂で、生活用水路が塞がれたままになっています。一年経った今でも、こんな場所がまだまだたくさんあります。私達が最初に行なった作業は、この土砂を撤去し、お水が流れるようにすることです。鍬とシャベルを使って、外に土砂を掻き出します。土砂は硬くてなかなか掘り出すことが出来ません。
 
 機械を使わずに人間だけの手作業って、ホントに効率が悪いですよね。大人10名で午前中(約3時間)くらい作業しましたが、きれいに出来たのは、ほんの数メートルくらいでした。まだまだ土砂で埋まっている側溝は、20メートルくらいは残っていました。お昼ご飯を食べて、続きをやる予定でしたが、雨が降ってきて午後からの作業は中止になりました。やる気満々でいましたので、作業中止は残念でした。

広田町「矢の浦公民館」での
おばあちゃん達との出会い!

 午後の作業が中止となりましたので、私達は急遽広田町の矢の浦公民館に向かうことにしました。そこは上長部より約30分、陸前高田市の中心街を抜け、丁度反対側に位置している、やはり小さな漁村町でした。今回、「お茶っ子隊」というボランティア活動(被災者の方々の交流と健康状況を見ること・メンタルケアが目的の活動)を行なっているところにお邪魔しました。

 公民館に入るとたくさんのおばあちゃん達がいらっしゃました。みなさん笑顔でわきあいあいとした雰囲気。そのなかに交じって二人の男性ボランティアスタッフの姿がありました。一人は、おばあちゃんと笑顔で話しをしながら、脈拍や血圧を計っていました。「うん、おばあちゃん大丈夫!元気だね!」
 
 私達のグループが急遽参加したので新しくテーブルを置き、お菓子とお茶を用意してくれました。僕の前に、二人のおばあちゃんが座ってくれました。「よく来てくれたね!これ私が作ったお菓子だよ!食べて!」と笑顔で快く迎え入れていただきました。そこでお二人のおばあちゃんに、震災の体験をいろいろとお聞かせいただきましのでご紹介します。お二人の体験談が僕の記憶の中で曖昧になっていますので合わせてご紹介させていただきます。

 震災当時はご自宅にいらっしゃいました。激しい揺れを体験し、ただ事ではないと思いました。津波情報の第一報は入ってきたのですが、津波の高さは避難するほどの高い数値では無かったそうです。「こんなに揺れて、そんなはずは無い。」と思いましたが避難せずに家に留まっていました。
 
 その後高さ十数メートルの津波が押し寄せ、家に襲い掛かってきたのです。本当に着の身着のまま、何も持たず外に飛び出し、命からがら家の裏手から高台に逃げ延びたそうです。波は足のくるぶしまで来ていて、もう少し逃げるのが遅かったら流されていたところでした。「今思えば、70歳を過ぎたおばあちゃんとしては、俊敏に良く身体が動いたと思いますよ。普段では越えられないような塀を軽々と越えていました。」と言ってお話をされていました。

 その後に見た光景は、自分が長年住みなれた家が津波に流されていく光景でした。一瞬にして家にあるもの全てを失ったのです。食べ物も・お金も・着る物も・布団も・食器や家具も・・・。自分の命だけはなんとか助かりました。その後、外出されていた娘さんとお孫さんが無事かどうかが、心配で心配で堪りませんでした。二人とも無事で再会できた時は抱き合って号泣されたそうです。

 笑顔でその体験をお話をされているお二人ですが、震災後1年を経てやっとここまでになられたそうです。それまでは、精神的なショックでうつ状態が続いていました。「何で?何で??あの津波さえ来なければ・・・」そんな事を繰り返し繰り返し考えてしまい、悲しくて苦して辛い毎日を過ごされていました。お話を聞きながら僕は、返す言葉も無く、涙をこらえながら、ただただ頷くことしかできませんでした。

ボランティアのみなさんには
本当に感謝の気持ちで一杯です。

 震災後、炊き出し・物資提供・瓦礫撤去・ヘルスケアやメンタルケアなどなど・・・。各地域でたくさんのボランティアの方々が活動されています。お二人から僕にも感謝の言葉を頂きました。おばあちゃんたち被災者の方々の元気を取り戻すお手伝いもボランティア活動の一環です。その切っ掛けを作ったエピソードをご紹介します。

 この『矢の浦公民館』に僕たちが来る事になったのは、今回一緒に来たアムリタハートのメンバーKさんと一人のおばあちゃんがお知り合いだったからです。Kさんが以前広田町にボランティア活動をしに来た時に、おばあちゃんと出逢いました。ボランティア活動の作業中に、声を掛けてきたそうです。作業中だったため、あまりお話を聞くことに身が入ってなかったKさんはおばあちゃんに「話を聞くのもボランティアだよ。」と言われたそうです。「そうだよね!」と思ったKさんは、じっくりとお話を聞かれたそうです。

 被災者の方々は、それぞれ別の震災体験をされています。同じ地域・隣近所に住んでいても、家が無事だった方・一部家が壊れた方・全部流された方・また家族全員無事だった方・家族を亡くされた方・・・。住んでいる高さがあと1メートル高ければ、何の被害にも遭わなかったところ・またその逆。たまたま出かけていたり、たまたま戻ってきていたり、逃げていった場所の違いなどで運命が決まります。僕も現地に行って見て、生きるか死ぬかは紙一重だったんだなとつくづく思いました。

 おばあちゃんは、その体験を同じ被災者ではなく、まったく知らない人に聞いて欲しいと思ったそうです。なぜなら、同じ被災者の方々とお話しする場合は、相手と自分を比較しながら、話したり聞いたりします。時には、羨望されたり、同情されたり、また逆になる場合もありますよね。だから、思いのたけを聞いてもらえる人が欲しかったのだと思います。

 おばあちゃんの話を聞き、Kさんは後日アクリルの毛糸をたくさん送りました。それは、おばあちゃん達が、活き活きと活動できる機会になったそうです。ただただ鬱々と毎日を過ごすより、自分達で出来ることが一つでもあれば、気持ちは随分変りますよね。おばあちゃん達は、アクリルの毛糸を使って、アクリル毛糸製のタワシをたくさん作り近所の方々や被災された方々に配ったそうです。

 ひとりのおばあちゃんのお話をご紹介します。「あの毛糸には、本当に助けられたんだよ。何もすることが無く、ボーっと毎日を過ごしていた私達に、活力を与えてくれたよ。毛糸を編んでいるとね。夢中になって時間も忘れて楽しいのさ!いっぱいいいっぱい作ったよ。みんなで集まって、お茶っ子飲んでおしゃべりしながら編んだり出来るし、テレビを見ながらだって出来るしね。

 何より、アクリルタワシをみんなにあげると喜んでくれるのが嬉しいね。一石二鳥だ!」と笑顔で話してくれました。毛糸を送るなんて、素敵なお話ですよね。支援の仕方・方法なんて無限にあります。ひとりひとりが考え、行動することが本当に大切なことだと思いました。今度おばあちゃん達は、刺繍に挑戦するそうです。どんな作品ができるのか楽しみです。

製材工場でのお手伝い
今日は丸太の皮むき作業です。

 広田町を夕方出発し、一関の宿に帰る途中は吹雪になっていました。4月になろうという時期に、雪景色を見るなんて思っても見ませんでした。翌朝は晴れ。心配していた道路の凍結もなく、再び「長部ふれあい広場」に到着。ふれあい広場の隣には、製材工場が建てられています。震災で周りの木々が流されたり枯れたりしています。その資源を有効活用するために、木を切り倒し、テーブルや椅子にして販売活動をしていこうという計画があります。近所のおじいちゃん達が集まり、作業を行なっています。製材する機械は、四国の高知県から寄贈していただいたそうです。

 今日の作業は、丸太の皮むきです。切り倒した木の皮を剥き、乾燥させて製材します。その木材を使って製品化し販売をするそうです。また、隣に建てる公民館にも、その木材が使われます。 おじいちゃん達が元気で働ける場所を作り出せます。丸太を軽々と自由に操るおじいちゃん達の姿に、ボランティアスタッフ全員が大歓声!体力も気力も、僕よりはるか上を行っています。

 地場産業を生み出し、雇用を生み出すことが、復興への道に繫がって行きますよね。地元ならではの産業でなくては、一時期はいいかもしれませんが、長続きはしないと思います。このような地道で地元の人々が無理なく参加できる活動は、とても大切なことだと思いました。


 

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藤本邦彦
藤本邦彦
プロフィール
藤本 邦彦
1958年広島県生まれ。國學院大学法学部卒業。数年間の広告代理店勤務を経て、1987年に独立。広告代理店として株式会社ライトスタッフをスタートするが、数年後『心身ともに健康で積極的に生きる』をコンセプトに環境事業部を設置。現代を前向きに生きるための様々な商品の販売事業を全国に展開。

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