半田 最近、毎日のように青少年による凶悪犯罪が起こり、それも「動機の分からない」ケースが増えてきています。昔は貧困からくる強盗、怨恨からの殺人など、それなりに理由が見えたんですが、ちょっと不気味です。先生はどうお考えですか。
酒井 確かに、親子間、兄弟間、また友人間など親密な関係内での動機不明の事件がやたらに多くなった印象を受けます。こうした事件が起きてしまうのは、やはり幼少期における母子関係や家庭環境の問題が背景にあると思います。『子供は、親の背中を見て育つ』『三つ子の魂、百までも』とは、昔の人が親の素行の大切さを表現したものです。これらの言葉は今日、昔より重い意味をもってきたように私には思えます。つまり、親御さんの日々の態度がとても大切になってきているのです。基本的に両親の間の夫婦関係が健全でなかったら、子供にとって、よい環境がととのっているとは言えません。
特に、現代ではますます両親にかかる負担は大きくなっています。ひと昔前の日本では子供は地域社会全体の中で育っていて、両親の役割はさほど大きくはありませんでした。
半田 確かに、大酒飲みだったり、怒るとお膳をひっくり返したりするお父さんもたくさんいましたね。高度経済成長期には、モーレツサラリーマンで早朝から深夜まで働き、休日も接待で、子供と会うのは月に数日というようなお父さんもたくさんいました。しかし、今のような漠然とした不安感というものはなかったように思います。
酒井 ええ。たとえ家庭環境が劣悪だったとしても、現代ほど子供の非行や犯罪などの問題が深刻ではなかったわけです。よく言われているように、子供の健全さは実は地域社会の生活と密接につながっていたということなんです。ところが、現在はこの地域社会の連帯感が崩れてしまっています。今の親御さん方のほとんどが戦後生まれで、自らの成長過程も現代化の流れの中にいた人々ですので、子供たちとどう接していいのかわからない、という方が多いのです。これは学校の先生方にも同様のことが言えます。
半田 だからこそ、昔よりも両親の役割に責任の負担が増しているということですね。
酒井 はい。しかし、親だって生身の人間ですから、それぞれに悩みも持っていますし、地域や学校の先生の代役まで果たすことはできない。先生も同じですよね。親の代役を果たせる訳はありません。結局、社会環境や家庭での諸事情から、一人っ子の家庭が多くなり、子供がホッと息がつけるような心の交流の場所を無くしてしまっているのです。
半田 「親がなくても子は育つ」という昔の言葉は死語になってしまったわけですね。では、これからの社会の中で子供たちが心身ともにすこやかに育つためには、どうすればいいのでしょうか。
酒井 この問題は非常に大きなテーマです。しかし、現実としてわたしたちは子供を健全に育てていく責任があるわけですから、まず最も身の回りの問題、つまり、幼少期の子供たちを信頼しあった両親の中で育てることがかなり重要だと思います。あと、子供自体のインスピレーションやイマジネーションを育てることが大事です。このためにはパソコンなどのデジタルな環境ではなく、もっと、生の会話や自然を数多く見せるなど、アナ
ログ環境に触れる時間を増やしてやることです。パソコンやテレビゲームというのは、実際の世界では実現できないことがデジタルの世界で実現 できて、一見、直感力や想像力を育むかのように見えますが、そういったもので本当に自分自身の何か違う世界を発見したとか、インスピレーションを得たとかいう人はいないのです。
半田 そうですね。道具としては便利この上ないものですが、創造性や想像力を奪ってしまうところが確かにありますよね。
酒井 人間は体と心で成り立っています。体の病にはそれこそ、外科、内科、小児科など様々な専門医がいるのに、残念なことに精神科は一括りにされて、細分化されていない。わたしは社会的要因や内的要因それぞれについて、専門的な見識を持つ必要があると考えています。それぞれを専門的に考えて、さらに総合的にまとめてみる。そういうところは半田さんの提唱するヌース理論と重なるところがあります。実際、患者さんが内面の問題だと思っていたら、外的な要因だったり、人間関係のせいだと思っていたら、実は日常の食生活の影響の方が大きかったり、内と外が反対だったりす ることはよくあることなのです。
半田 いずれにしろ、人々の目が物質の方ばかりに行って心の部分を見過ごしてきたことが、結果として最も重要な親子関係、人間関係に影響し始めているのをひしひしと感じますね。私も、機会あるごとにモノの世界は実は心の世界が大本にあって初めて成り立っているんだと話しています。何とか多くの人が心の大事さを優先して考えていくような社会になるよう微力ながらお手伝いが出来ればと思います。今日は、どうもありがとうご
ざいました。