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2011年3月 1日

春の色 温かな色。 安心と希望をくれる色 それぞれ鮮やかに咲き誇れ

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凍てついてしまった大地が
春の温もりを戻すには 
もう少しかかるのかナ?と
野菜たちの生育を気にしながら
春本番を待つ今日この頃です。

 昼は白 夜は黒
この冬は ボクの視界から
色が消えてしまう
そんな瞬間が何度か訪れました。
「色が消えてしまうですって?
そりゃ~単に天波さんが年とって
色ボケになっただけじゃないの?」
年を取ったのは確かですが
まだ眼鏡やオムツの
ご厄介にはなっていませんから
ご心配なくです...。(苦笑)
正確に伝えれば
陽が燦々と反射する銀色の世界と
月夜に舞う雪月花の金色の二色は
見えたのですから
色ボケではないと思いますけどネ。
 雪を見ると最初に思い出すのが
やはり富士山の一三七〇mに
暮らしていた頃のことです。
山中湖から御殿場に抜ける
籠坂峠の頂上付近にあった我家
窓に映る白銀の富士山を眺め
丸太のまま薪が入れられる様な
暖炉の前で作曲した
『ハリモミ樹林』や
『富士アンビエント第一章』の
孤独なメロディーが蘇ります。
「寒いから透き通っていて
冷たいから尖っている。
そんなまっさらさらな雪の結晶も
幾重にも重なると 目に優しい
温もりとなって伝わるのです。」
雪のそんなイメージを
なんとか音楽で表現しようと
ゴッホにも影響を与えた
歌川広重の「大橋の雨景」等を
眺めながら 無彩色の世界を
どう表現したら良いのか悩み
作曲に没頭していた当時を
ふと思い出しました。
素敵な曲ですので機会があれば
是非皆さんにも聞いて
頂きたいナと思います。
(藤本社長!ライトなスタッフ
ファンの皆さんに 東京でボクの
コンサートを開催して下さいョ。)
 それでは今回のエコひいきを
進めてゆくことにします。
 今回のお話しのテーマは
序文を見る限り「雪」では?と
思われる人もいるでしょうが
旬は春ですので「色」について
書いて見ることにしました。
   (へそ曲がりのイケズ!)

 「今朝の朝焼け見ましたか?
青紫がとっても奇麗でしたネ。」
「公園のチューリップの彩りが
春を賑やかにしてくれますネ。」
「今日はあの娘とデート
何色の服を着てゆこうかナ~?」
なんて具合に
私達の日々の生活の中に
あたり前に存在する「色彩」。
その「色」は私達だけでなく
万物の生命活動そのものを
左右する存在にあるのです。
冒頭の山中湖に住んでいた頃
その「色」に不思議な感動を覚え
止めどない涙が溢れた時の
体験からまずはお話ししますネ。

 二〇〇六年と二〇一〇年に
二十年ぶりの全面結氷をした
山中湖だそうですが
ボクが暮らした八〇年代初頭は
冬の平均気温がマイナス二十度
積雪ですら三mは有に越える
それは厳しい極寒の地でした。
冬となれば当然樹々の緑も
湖の透明なブルーも
それこそ人の私利私欲が
我先にと立ち並ぶ
派手な配色の看板ですら
雪が全てを覆い隠し
白紙に戻してしまいます。
もちろん室内は異なりますが
外の景色は殆どの色を失うのです。
 そんな早春のある日。
甲府市の県庁へ行くことになり
四駆にスパイクタイヤを装着
ドライブがてら 三ツ峠経由で
向かった日のことです。
その日は天候に恵まれ
絶好の撮影日和
車内から身を乗り出し
愛用のニコンF4で
雪景色を撮り捲りました。
(この頃デジカメがあったら
どれだけ貯金が出来たかトホホ...。)
三ツ峠を越へ 残雪の残る坂道を
低速で下ってゆく時のことです。
それまでは雪とその影の
モノトーンの世界に
目を奪われていましたが
突然!ボクの網膜に写ったのは
「桃色!ピンク色!」。
かなり大げさではありますが
桃の産地である甲府盆地全体が
大きな桃色のブーケに見えました。
ボクは桃色にピントを合わせ
シャッターに指を置きました。
その時です。
ボクの頬をつたわる
無意識の涙に気づいたのです。
故松田優作が撃たれる名場面の
「なんじゃこれ~」ではないけど
寂しい感情も悲しい感情も
一切ないボクが
無意識に泣いているのです。
それも止めどなく爽快に
涙がこぼれ出るのです。
「なんじゃこれ~」の気分で
シャッターも切らず
桃色モードに浸りながら
自分の心に何故だろう?を
繰り返し問いました。
 その日は解りませんでしたが
数日経って思ったのは
前知識もキャリアもないボクが
突然ホテルの支配人を任され
意識していませんでしたが
相当日々のプレッシャーが
溜まっていたのでしょう。
その緊張が春の桃色に触発され
一気に解き放たれたのでしょう。
例えるなら
新鮮でまばゆい程に輝く
ホワイトホールの中にいた
無機的なボクが
有機体の発する桃色原子との
触媒によって
一気に体内の浄化作用が
高まったのではないでしょうか。
    (余計に解んねぇョ!)
簡単に言えばボクの生理現象が
色彩によって変化させられたのです。
 (ただ感動しただけじゃない!)

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 難しいかも知れませんが
もう少し深く掘り下げてみますネ。
色彩とは「光そのものである。」
とニュートンの言葉にある様
白光(太陽光線)は
種々の色光からなりたち
その異なる屈折率によって
赤 橙 黄 緑 青 藍 紫の
七つの色の帯に分散するのです。
では光とは何か?となると
現代の科学では「電磁波」となり
電磁波とは?何かとなると
ビッグバーン説をたどる為の
「光の化石」となるそうです。
 その光の化石 言わば
過去の記憶とされる「色彩」は
当然目で見ているのですが
実は皮膚でも見ているのです。
先程の色の帯(スペクトラム)の
赤から肉眼で見え始め
紫を経て再び目に見えない
紫外線となります。
紫外線は人体に当たり五〇%を
皮膚で反射し 残りの五〇%を
身体に取り込み 熱に変え
ビタミンの合成に役立っています。
有名なのはビタミンDです。
最近の研究では光や色彩によって
生物の筋肉は緊張と弛緩を
繰り返しているそうです。
因にその研究の結果
ライト・トーナス値と言うそうですが
一番弛緩した正常値が二三で
ベージュ色とパステルカラーが
これに最も近く 青が二四
緑が二八 黄三〇 
橙三五で緊張と興奮に変わり
赤は四二で最高潮となり
血圧まで上げしまうそうです。
 野菜たちもそうですが
いつも光を求めていますし
その光の加減により
大きさや色合い 味わいまでも
変えてしまうのですから
陽が当たる 当たらないは
健全な生命活動に於いて
欠くことの出来ない
重要なポイントだと思います。
 (でも人も野菜もビルの中...。)
 ここまでの基本は
自然界にある色のことでしたが
食品に使用する色素や着色料
と言った色の殆どは
人工的に化学合成された色です。
食品だけに限らず
住まいに使われるペンキも
衣類の染色に使われる染料も
石油化学が産んだ産物なのです。
そして元来
種を蒔き 命を育むことが
芸術の意にあるべき
画家の絵の具や陶芸家の釉薬も
残念ながら殆どが化学合成の
原材料に依存しているのです。
 (そんなんじゃ
  本当には癒されないョネ!)
更に街で見かけ驚いたのですが
奇麗な造花だナと思いきや
触れて見ると生け花なのです。
水に色素を混ぜ毛管現象を利用し
見たこともないブルーやオレンジ
ピンク色のかすみ草やデイジーを
水耕栽培で作ったのだそうです。
花好きのボクがゆえ
思わず衝動的に購入したいと
本能を揺さぶられた程でした。

 買わずに思い留まれたのは
「それじゃ天波のエコひいきが
ウソ色になっちゃうじゃん」の
ボクの古くさいプライドと
自然回帰を望む
プリミティブな本能が
不買運動!不売運動!と
ブレーキを踏んでくれたお陰です。
 万物の生命活動に支障を来たす
結果を招くものは 当然不買。
結果を招きそうなものは
作り手自身が不売する
勇気を持って欲しいですョネ。
それがボクの目指す
エコひいき的生き方なのです。
だからこそ都会を離れ
山奥の古民家に住んだのです。
有機農産物を仲間達と生産し
保存食としての加工品まで作り
自らも食べているのです。
 こんな風に書くと格好良いですが
今回色をテーマにして気づいたのは
かく言うボクも 
身の回りにある物の「色」は
いのちや環境に配慮し忘れた
ウソ色の色ボケ商品や
作品ばかりだナと思いました。
数を求めるばかりではなく
何とか工夫をして再生するか
せめて身の回りから離した方が
自らの自然体に出逢えるかもです。
 それには物に対する執着心に
ブレーキを掛けなくっちゃですネ。
  (それが出来ねんだョナ~。)
 最後に音惚け老人のボクでも
PCに慣れて来ましたので 
下記のメールアドレスに
ご感想やご意見をお寄せ下さい。

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投稿者 right : 12:24 | コメント (0) | トラックバック