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2010年8月26日

真のエコ社会とは 音楽を楽しむ様に 手間を惜しまない社会です。


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 ボクのここまでの人生に
生きる歓びと希望を 
与えてくれたのは何しろ音楽。
小学三年の秋 音楽室で聞いた
サンサーンスの『白鳥』の一曲が
「ボクも音楽家になりたい!
 作曲家になりたい!」と
幼くして将来の夢を
方向付けてくれたのです。
 当然まだ幼いですし
音楽家・作曲家になるなんて術を
持っている筈もありませんから
当時は耳に飛び込んで来る音楽を
片端から即座に真似して歌っては
「この曲が好き!
 この曲は何か好きくない!」
なんて 感じるままに
友達に曲の批評をしていました。
それは自分が唄いにくく
難しいから嫌いとか...
また すぐ唄えるから好きとか...
そんな単純な評価ではなく
一度では覚え切れない程の
長くて難しい曲でも
「ここが好き!この部分の
バイオリンのメロディーが好き」と
言った具合に 全くの主観で
独断的な判断ではありましたが
兎に角ボクの中の「何」かに
ワクワクが響かない様な代物には
優劣が付けられませんでした。
もちろんクラッシックだけに限らず
どんなジャンルでもそうでした。

 小学生の頃の思い出ですが
両親に連れられ初めて行った
島倉千代子さんのコンサート。
立川競輪場での特設会場は
ステージを取り囲む多くの人で
ごった返す お祭り騒ぎ状態。
その熱気の渦の中で
今は亡き父に肩車をしてもらい
人の頭越しに見た初めての歌手。
人の歓声と言う雲に浮かび
光り輝く観音様が歌っている様で
胸のドキドキが響き続けたのを
今でも鮮明に覚えています。
 リズムのある曲になると
父はボクの足から手を離し
手拍子をしたり
踊ったりするものですから
肩に乗っているボクは
まるでロデオでもしている様で
ケチャケチャと笑いながら
一緒に演歌を口ずさみました。
 (日本人ぽいでしょ。)
 また実らぬ初恋を歌った
ヒット曲『この世の花』の
切ない前奏が流れた時には
会場から溜息が漏れ
父の肩からも力が抜け
ボクの視界が徐々に下がってゆき
突然足をギュッと握られた
あの感覚も身体で覚えています。
きっと 青春時代を戦争に奪われ
果たし得なかった多くの残念が
浮かんで来たのでしょうネ。と
今だから察することが出来ます。
それでも子供たちの為に
「生きる」を選択してくれた
両親 そして 先人達に今更ながら
感謝の気持を込め「ありがとう」。
 現代とは違い 殆どの物資がない
そんな時代の最中にあって
まさしく人々の生きる希望を
確実に繋ぎ止めて来たのは
美空ひばりさんや
島倉千代子さんたちの様な
優しく力強い元気に満ちた
歌声だったことを痛感します。

 おっと!失礼しました。
お陰様でお世話様の天波です。
こんな調子で始まりましたが
何を書いて良いのやら解らぬまま
ふと書き出してしまった序文。
頭の中に流れていたイメージは
何故だか映画の「サウンド オブ
ミュージック」のことと
エコ社会を実現してゆくには...?
なんてことが巡っていたせいか
長い序文になってしまいました。
 そんな訳で今回は
芸術の秋でもあることですし
音楽とエコについて
書いてみようと思います。
果たしてどんな結末になるのやら
最後までお楽しみに!

 まずボクは音楽を
次の様に捉えています。
 音楽とは人の仕草の一つで
相手と感情や思考を共有する
ゆとりの動作ではないかと...。
ですから音楽には
美しい歌声(主感)だけではなく
より同調しやすく 客観的で
舞踏的な表現をするための
様々な楽器も必要に
なるのではないのでしょうか。
 では古代の楽器とは どの様に
発展して来たのでしょう?
その辺りから お話しを進めて
ゆくことにしますネ。
 紀元前三千年の古代壁画にも
笛や太鼓を持った音楽隊が
描かれている様に
人類と楽器との付き合いは
永きに渡り身近な存在に
あったことがまずは解ります。
木や石を叩き擦っていた
古代人のそんな仕草が
気の遠くなる様な年月を経て
土を焼き固めて作った
土笛・土鈴などへと発展し
やがて動物の皮などを加工し
木枠に張る太鼓へと進化。
骨や角・木の枝をくり抜き
器用に笛を作る技術へと
発展してゆきました。
 しかし人は何が故に
音を出すこと また音を  
聞くことが楽しいのでしょうネ?
「音は生きる者への証。」と
ボクは歌っていますし
このことが人類の仕草の進歩と
よくみんなにお話ししています。
 古来これらの楽器は
主におめでたい婚礼の席や
葬儀の席に使われていましたが
いつしか争いの場面にも登場し
部族の指揮を高めたり
仲間の安否や位置を確認したり
また敵を威嚇したりする
戦闘狩猟用の道具の一つとして
扱われる様になってゆきます。
しかし 紀元前千年前後になると
初めて人が音を楽しむ為の
擬人的な要素を持った楽器として
一本の弦を擦ったり 叩いたり
弾いたりする 弦楽器らしき
楽器が作り出されます。
やがてそれ等はシルクロードを経て
ヨーロッパへと伝わり
弦楽器の原型とも言える
チター・ハープ・リュートと言った
弦楽器に変容してゆくのです。
そして 現代の弦楽器のバイオリン
ピアノ・ボクの好きなギターへと
進化発展して来たのです。
「えっ!ピアノって
 弦楽器だったの?」
「ちょちょっとあわてないで下さい。
 どうもそのピアノが
エコひいきに結びつきそうな
 キーワードの様ですから...。」
では先を続けます。
 先程ピアノのルーツは
弦楽器ですと言いましたヨネ。
基本的には当たりなのですが
よくよく調べてみると
ルーツは確かに弦楽器なのですが
オルガンの鍵盤楽器が 生みの親
とも言うことが出来るのです。
それは それまでの弦楽器は
人が容易に抱えたり移動したり
出来る大きさであったのに比べ
パイプオルガンやピアノは
宗教上の関係からでしょうか
大型で移動しにくいものです。
大げさに言えば鉄筋木造建ての
機械室とも呼べる代物で
なんと!ピアノの重さは
アップライト式で二百~三百㎏
グランドピアノでは三百~五百㎏にもなり 
相撲の力士が四人で
やっと抱え上げられる重さです。
因にあの大きなハープですら
三十㎏ですから
その大げさ度が解ると思います。

 どうですか?人類がエコから
離れていった分岐点は
どうもこの辺りの時代背景に
あった様に思えませんか?
但し もっと古い分岐点は
動物の腸などを乾燥させ
引き延ばした弦を
骨や木の枝や板に張っていた
弦楽器の原型に別れを告げ
金属を引き延ばした弦を
使うようになった時 言うならば
人類が製錬技術を得た時代まで
遡ってしまいますので
打弦楽器のピアノが爆発的に
広がった今から三五〇年前の
産業革命以降と言う
時代に着目して欲しいのです。
 古代の人は音楽を楽しむ為に
石や木等の自然をそのまま活かし
自分達で楽器を作っていましたが
支配者思考の権力者が
宮殿の様な建物と一体型の
鍵盤楽器を登場させ
庶民・平民たちを市場主義の
場へと駆り立てていったのでしょう。
 簡単に言えば機械化が進み
手交品だった楽器が
大量生産によって
個人も手に入れられる様に
ビジネス的に仕掛けた訳です。
 使用人を置いた豪邸に住み
バーバリーのスーツを着こなし
自動車の後ろに座る紳士と
パーティーに着てゆくドレスを
優雅にショッピングし
紅茶を飲みながら
楽士の奏でるピアノの調べに
うっとりする淑女たちを...。
それが最もステータスで
豊かな暮らしの頂点として
サブリミナルしていったのです。
(使用人のこと等忘れてネ!)

 最後にボクは高価なピアノが
非エコであるとかそうでないとか
言いたいのではありません。
ギターでもその他の楽器でも
数千万円を超える代物は
世の中にはいくらでもある訳で
それはそれなりのプロにまかせ
エコひいき的暮らしの音楽としては
まずは自らの日常的主感や
主張を音楽的に表現出来る様な
感性と環境を身に付けることが
とっても大切だと思います。
音楽的な表現とは
相手の心情や状況を思いやれる
ゆとりある本能的表現の事です。
今こそ押し入れにしまってある
ギターを引っ張り出して
君の音を響かせて欲しいのです。
保育園や学校の行き帰りに 
 そして お風呂場で気持ちよく
歌っていたあの頃の様に  
殺伐とした現代に心の音楽を
取り戻してゆきましょう。そして
サウンド オブ ミュージックの様に
諦めずにエコ社会への山脈を
乗越えていって欲しいと思います。
 そして ボクは人だけではなく
自然に対しても子守り歌を
唄いつづけられる様なエコひいき的
農明シンガーとして 
年を重ねてゆくことだと
信じています。
「白鳥」の曲を初めて聞いた時
「このまま死んでも良いナ」と思った
あの時のボクを忘れず
音楽を産んでゆくことです。

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投稿者 fujimoto : 13:23 | コメント (0) | トラックバック

自然の恵みに給わる 人の手仕事に感謝しよう。

『胡麻の花』
      作詞/作曲 天波

♪遠慮なんかしなくて良いョ
 ボクのためになら
 遠慮なんかしなくて良いョ
 ボクのためになら

 何千万年も生き続けた
 いのちを運ぶ一粒の種
 遠慮なんかしなくて良いョ

Come on Come on 
Come on it a lucky mouth
Come on Come on 
Come on it a lucky mouth
遠慮なんかしなくて良いョ♪

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 二月三月四月の熊本は
観測史上初の降雨量を記録し  
どれみ村の春野菜の出荷も
栽培エリアによっては
収穫に二十日から一ヶ月位の
遅れが出てしまいました。(涙)
雨だけでなく遅霜に春雪まで
味わってしまったのですから
無理もありませんけど...ネ。
雨が降ると畑は耕せない
無理しても体調を崩す
折角蒔いた種も雨に流され
元の木阿弥になってしまいます。
世間で大雨と言えば全国各地で
地滑りや土砂崩れと言った
大災害になることもありますが
畑の畝を連なる山脈と例えれば
そこに暮らす虫や草花にとって
規模こそ違いますが 毎回
土砂崩れや崖崩れ大洪水が
起きたのに匹敵します。
そんなことが起きたら
ましてや種は赤ちゃんですから
いのちを落とし兼ねませんョネ。
だからこそ植物たちは
沢山の種を着けるのですネ!
そしてその一粒ずつのいのちを
風や水や動物たちの力を託し
時間をかけ 色んな所に
運んでいってもらうのですネ。

 五月になっても真夏日に
なった日は僅か二日しかなく
全国のお天気ニュースを
見ていても かえって
熊本の方が気温の低い
そんな日が何度もありました。
それでも五月は晴れ雲の方が
多かったので 何しろせっせと
胡麻の種蒔きに精を出しました。
お陰で全身金胡麻色に日焼けし
何処からか来た外国人の様です。
実は 胡麻の種は村明さんが
トルコに行かれた際 
手に入れられた金胡麻の種なので
もしかするとトルコの人に
なれたのかも知れません。(笑)
 お土産に頂いた一握りの種を
五年間大切に育てて来ましたが
去年は「自給分」を別にして
そこそこの量が採れたので
今年は是非村明さん達にも
分けてあげられる様にと思い 
三月から準備をしていました。
ところがこのお天気でしょ!
結局当初計画していた
半分以下の栽培面積に
なってしまいました。(残念)
それでも後半は天気も回復し
少しでも多くの種が芽吹く様に
心に念じながら 夏野菜の
種も蒔くことが出来ました。
感謝です。(滑り込みセーフ!)

 さて今回は文中にもあった
「自給分」のお話しをします。
実はライトスタッフさんからの
提案は「自給率」でしたが
それだと一寸難しくなると思い 
エコひいきは草の根運動的に
「今の自分に何が出来る?」を
基本に進んで行きたいので
「自給分」とさせて頂きました。
内緒の話ですけど
食糧自給率なんて
権力者達が高い関税率を
カモフラージュする為の
詭弁に過ぎないのですから
だまされない様にして下さいネ。
簡単に言えば 肝心なのは
何かを生産するためには 
必ず石油・石炭・電気などの
エネルギーが必要なのです。
でも日本のエネルギー自給率は
僅か4%しかないのですから...
それに家畜を養うにしても
飼料の殆どが輸入なのですから
食糧自給率なんて考えは
全く意味を持たないことが
良く解ると思います。
 ほらネ!こんな風に
難しくなっちまうでしょ!
政府や社会の批判をしていても
自然は復活しないし
決して蘇りはしませんからネ。
だからボクは
小さな抵抗かも知れないけど
クワ一丁で友氣農行を
実践しているんです。
まぁ~自給自足を目指し
自給率100%の仙人に
なろうと思っているのでは
ありませんから くれぐれも
誤解なさらない様に...。(笑)
ボクは何はともあれ
自然が一番だと思いますし
「自分」は自然から分かれたと
勝手に解釈していますから
人も自然の一部であることを
分ち合える人たちが大好きです。
もし大好きな人がいないのなら
それこそ仙人になるかもです...。
でもボクには家族はもちろん
どれみ村で食を共に重ねる
245世帯の村明さんがいます。
平均2人家族と仮定しても
500名近い人の中には
どれみ野菜や玄米を20年
食べて大きくなった子供たちも まだ赤ちゃんも それに
お父さんにお母さんに
お婆ちゃんもお爺ちゃんも
いらっしゃいます。
ですからボクは仙人にも
ホームレスにもならずに
こうしてどれみ人生を充実して
歩んでいられるのです。(感謝)

 自然な食べ物を囲み
取り留めもない会話に和み
そして一日の疲れを
ゆっくりほぐしながら
治癒の為のエネルギーを蓄える。
そんな同じ釜の飯を食べる
許し補い合える味方たちの輪が
人を優しくしてくれるのです。
人に優しくない人が
自然に優しくなんて
出来る筈がありませんからネ。
(シーシェパードの様なのはダメよ)
古代から人と人の間に生まれた
争いが 自然をどれ程破壊して来たのでしょうか!
きっと そう言った人達は
食卓で野菜の話しや それを
作ってくれた人達のことなんて
全く話しもしないで ただ
食い物に貪りつくのでしょうネ。
 話しが少し逸れますが
3年前に世界最強の爆弾
「真空爆弾」の実験に成功した
と豪語していたロシアですが
周囲一帯の酸素を瞬時に
消し去る爆弾なんて
人だけでなく植物や動物も
瞬時に息絶えると言う事ですョ
核爆弾の様に歴史的遺産や
文化的な建造物は
破壊しなくて済むなんて
またも詭弁を使いやがって
(減農薬もある種一緒!。)
ふざけた事ぬかすんじゃね~ョ。
 おっと!ごめんなさい。
つい頭に浮かんで来たもので...。
ですから権力者のぬかす
食糧自給率なんて
考えないで良いんですョ。

 冒頭に載せた『胡麻の花』と
言う曲は「自給分」のことを
考え始めた頃でしたか?
何の因果か金胡麻と出逢い
そのことがきっかけになって
誕生した大好きな曲です。
胡麻も殆どを輸入に頼っている
ことを知っていたボクが
せめて自分の食べる分だけは
植えて見よう等と思わずに
残さず食べてしまっていたなら
めぐり逢えなかった曲と思うと
なんだか不思議でもあり 
ありがたい気持ちになります。
 日々食べ物にめぐり逢える
そのことのお陰様には
遥かな時間を超えた
多くの人たちの手の温もり  
そして様々な自然の生き物達の
営みが関わりあっています。
この奇跡的とも言える
命を繋ぐ食べ物にめぐり逢えた
幸運な自分の口に感謝しよう!
そんなメッセージが詰まった
一曲なのです。
 でも何故食べ物や
それを作る生産者にではなく 
自分の口に感謝しよう
なのだとは思いませんか?
 お金を出せば好きな時に
好きな物を好きなだけ
手に入れられる飽食の時代。
原材料も産地も良く解らない
まして生産者も解らない
それこそメーカーに
儀礼するしか無い様な
やるせない気持ちが
知らず知らずに
野菜の話しや作ってくれている
人達のことなど
全く話題にも上らない食卓を
作ってしまっているのです。
食卓なら まだましで
ファーストフードや
コンビニの食べ物に
ただ空腹を満たすだけの
野獣に成り下がって
しまっているのです。
「it a lucky mouth」の
歌詞はそんな風な心境の時に
例え生産者は見えなくても
もとのもとを辿れば
自然のものに辿り着く筈の物
食べたくても口にする物もなく
命を落としてゆく子供たちが
この地球上には
まだ大勢いるのですから
オーガニックなものでなくても
感謝して口にしようと思い
「it a lucky mouth」
「it a lucky mouth」
「いただきま~す。」と
自分に言い聞かせたのです。
でも体質に合わないのか
合わなくなってしまったのか
正直感謝の気持ちが生まれずに
結局続きませんでした。(反省)
それ以来外食を誘われた時は
「今食べたばかりなんだ!」と
相手に伝へ 同席しても
辛抱出来る様にはなれました。

 おっと もう頁がないョ。
ボクの考える「自給分」とは
全ての食料を自給しようなんて
それは得意体質の人に任せ
出来ればベランダの鉢植えで
良いですからプチトマトでも
ハーブでも自分で育てて見る
ことだと思います。もちろん
お米だって栽培できますョ。
そうすれば自然に
食べ物に感謝する優しい心が
育ってゆくと思います。
最後に朝のパン食をみなさんが
ご飯に変えるだけで
食料自給率を二%も上げる
ことが出来るのです。
朝からご飯は重たいと
思われる人は食べなければ
良いだけと思いますョ。
何しろ栄養やエネルギーは
少量のタンパク質を摂れば
自然から分かれた自分の小腸が
全て作り出してくれるのです。
 ボクは有機野菜や玄米を食べ
この大地に繋がる日本の心を
パフォーマンスしてゆきます。
「いただきアース。」

投稿者 fujimoto : 11:49 | コメント (0) | トラックバック