2011年10月18日
沢山の悲しみ 多くの困難 でも"さよなら原発"の祈念日になったんだョ!

天波博文
誰も「3・11」のあの脅威を
本当に察知出来なかったのか?
一瞬の内に多くの人のいのちが
家も車も橋も川も町も瓦礫同然に
津波に飲み込まれたあの日を...。
そして なぜ
生き残った家族までもが
姿なき悪魔に怯え
バラバラに引き裂かれなければ
ならなかったのか...?
そして なぜ TVでは一斉に
「ポポポポ~ン♪」の
音楽が なり続けていたのか...?
ボクは受け止め切れない現実と次々と迫り来る何故?に
精神的にも滅入っていましたが
これではいけないと
阪神大震災の被災時に学んだ
逆境の時だからこそ
皆が元気になる「祭り起し」を
自分に課すことにしたのです。
【四月 三日】神武天皇祭
【六月二六日】チャリティーライブ
【七月二三日】葦北 新そば祭り
【八月十四日】丸米ふれあい祭り
【八月二四日】四十年ぶりボクの
デビューアルバム
『のすたるじあ』の
再発売パーティー。
【八月三一日】の野菜祈念日と...。
祭りの忙しさに集中することで
ボクは「3・11」から受ける
悲しみや怒りモードを
事前にシールドしていたのです。
しかも この間に
相次ぐ余震による土砂崩れや
集中豪雨による更なる水害。
そして 台風十二・十五号による
なぜこのタイミング?と聞きたい
関西・中部を直撃した
記録的な水害も起こりました。
祭りにでも没頭していなければ
きっとボクの心は 悲しみに
浸食されノイローゼーにでも
なっていたかも知れません。
あれから七ヶ月......。
本来の地震だけでしたら
誰もが自然災害とあきらめ
いつまでも悲しみの淵に
座っていなかったかも知れません。
しかし 原発事故が絡んだ
「3・11」での脅威と悲しみは
日々を追うごとに
次々と明かされる驚きの真実や
悲惨な現状にスパークし
姿なき悪魔たちに向けた
不信が徐々に怒りに変わり
今まさに渦を巻いています。
そして 事態は更に深刻な
問題へと発展しつつある様です。
中国がチベットや台湾問題等に
情報統制を強力に引いている様に
日本政府も情報統制網のレベルを
引き上げ始めた様なのです。
ネットを使われている人なら
感じていると思いますが...。
従来のTVを代表するメディアと
インターネットメディアでは
例えば震災時のニュース
一つを取っても断然ネットの方が
スピーディーで透明度の高い
小回りの利いた情報が
入手しやすかった筈です。
因にボクは三月十二日から
熊本に居ながらにして
ネットラジオで被災地の近県
埼玉県のFMジェイウェーブ局に
二週間連続でアクセス
しっぱなしにしていました。
(無料だったからです。セコ!)
その環境設定があったからか
よりワープした臨場感に
現地の心情や慌てぶりが
切々と伝わって来ました。
ところでその時 熊本のTVは
どうだったかと言いますと
それがニュース速報と言えど
ネットとは20~40分ぐらいの
情報の遅れがありました。
まぁその程度なら情報統制
ならぬ情報遅配でしょうけどネ!
(但しFMでもポポポポ~ン♪が
隙あらばと流れて
いましたョ?苦笑。)
その後の脱原発関連のニュースは
一般メディアでは殆ど報道されず
9・11に行われたデモでは
見せしめとも言える不法逮捕者が
12名も出たにも関わらず
報道は一切されませんでした。
また19日の代々木公園周辺に
6万人が集まった時もそうです。
デモは事前に日時やコース等を
許可申請・受理されていたのです。
しかし前日に集合地点であり
出発地点の強制的な変更が当局に
よって突然命じられたのです。
これは明らかにデモへの参加者を
分散し困惑させるための戦略的
妨害行為に他なりません。
このことも
ポポポポ~ン♪に仕える
大半の公共メディアでは
一切報道しませんでした。
いずれにせよ利権者たちの
取り返しのつかない失敗を
地震津波でのパニックにかこつけ
国難と位置づけた以上は
今後非常事態を大義名分に
規制や増税と言った帳尻合わせを
ボクたちに強いて来るのでしょう。
(そんな意味では2012年が
キー的変革期になるのかも...。)
とにもかくにも
自由で平和な自然との共生社会を
実現してゆくために
次ぎのステージを担う子供たちに
ボク等のはっきりした意思行動を
伝えてゆく必要があると感じます。
かく言うボクは
友氣農行発展への支援者として
脱原発に賛成ですし
増税については 完全に無駄を
排除してからの話で
その後改めて考えるとします。
確かに復興には 莫大な
お金が必要なのは解ります。
だからそのお金の使い方を
どの様に改革してゆくかが
未来に照準を合わせた
真の復興支援ではないでしょうか。
この様な時だからこそ
未来を信じ 人間を信じて
全面廃炉を宣言したドイツや
2034年を目標とし
脱原発を宣言したスイスの様に
日本政府もはっきりとした
未来へのビジョンを明確に
打ち出して欲しいものです。
突然話は飛びますが毎年恒例の
ムービング・ドラゴン・ツアーは
一月の満月の時点で
取り止めと決めていました。
このことは何も「3・11」の
予感があったからではありません。
今年始めのエコひいき(21号)に
例えとして 卯年の今年を
どう生きようかと書いた様に
ウサギはバックすることと
下り坂が苦手なので
ゆっくりブレーキをかけ
進む年と決めただけです。
それに4月には愛妻様が
3年ぶりに高校を卒業する
次男の世話を終へ 京都から
戻って来るからだったのです。
最後になりますが
地震の規模を示す
マグ二チュードの順で表すと
今回の東日本大震災(M9・0)は
死傷者数21万814人。
1960年のチリ地震(M9・5)
死傷者数2410人。
64年のアラスカ地震(M9・2)
死者131人。
2004年のインドネシア・
スマトラ沖地震(M9・1)
死傷者数227万898人。
に次いで観測史上
世界4番目の震度規模でした。
ボクは1952年誕生ですから
直接地震の被害を被った訳では
ありませんが この4回の
記録的地震が起こった同じ時代を
生きているんだナと思うと
あらためて自らのいのちに
そして 家族や友人たち
地球上の全てのいのちの存在に
感謝 感謝 ありがとうです。
記憶に残る大変な年でしたが
今年もあと僅かです。
お正月の準備はまだにしても
子供たちやお母さんへの
Xマスのプレゼントはそろそろ
考えておかないとですョ!
そんな訳でエコひいきの
読者の人(ネット含む)に
藤本社長とボクが協力して
特別なプレゼントを
2つご用意させて頂きました。
どうぞサプライズにご活用下さい。
前回号でも紹介した丘蒸汽の
★CDアルバム『のすたるじあ』
@¥2500(15曲入)
MAHALOのウクレレ
@¥8000相当を
セットで10名様分。
★どれみ村有機野菜お試しセット
@¥4200相当を
3名様分。(配送を持って当選)
来年はボクが年男の辰年
それに還暦の節目も重なります。
まさしくエコひいき的
第二の人生出発の2012年です。
音惚け老人の天波は
玄米と有機野菜を
モリモリマルマル食べて
『いただきアース』です。

投稿者 right : 08:03 | コメント (0) | トラックバック (0)
2011年8月31日
初期化が望まれる時代に40年の時を超へこつ然とその姿を現した『丘蒸汽』-JKL32-。今こそ郷愁感溢れる瑞穂の国への元返り。
天波博文
二十歳になる時に味わった
歳を取りたくないと思った
あの抵抗感と
そうは言っても宇宙時間には
逆らうことは出来ないのだからと
未来を受け入れた時の
あの不安感と期待感が
還暦を一年後に控え交錯します。
十才の時に心が決まった
憧れの音楽家への路の先にあった
十九才でのプロデビュー。
あんなに有頂天だったボクの夢も
現実社会の諸刃によって
ズタズタに切り裂かれましたが
それでも決して夢をあきらめず
自立の路を腹に決めた三十代。
「音と農に生きる」なんて
訳の解らないビジョンを打ち立て
音楽と野菜が好きな人に宅配する
変な有機の八百屋さんを生業に
四十代・五十代をしっかり
大地に根を張り生きて来ました。
そんなボクに振って湧いた
四十年前のデビューアルバム
『のすたるじあ』のリシューの話。
十九才の頃に結成した
フォークロックデュオ「丘蒸汽」の
最初で最後の隠れた名アルバムが
再発売されることになったのです。
それは早過ぎた恐るべき子供たち「丘蒸汽」ファンの根強い
愛と希望と因縁が三つ巴に絡み
八月二十四日に復活するのです。
青春時代を駆け抜けた
心友で兄貴役の西脇睦宏と
破天荒で病弱な舎弟分の天波が
六畳の部屋でラーメン啜りながら
奏で合った二本のギターサウンド。
自由で美しいメロディーに加え
メッセージとしての歌詞も
斬新で時代を反映した
リアリティーと創造性に富んだ
叙情詩の様だと思います。
それに40年も前から
環境のことを考えていた丘蒸汽の
先見性には自分でも驚きましたし
まさにエコひいきです。(自画自賛)
これ以上自分たちを讃えるのも
ちょっと こそばったいので今回の
リシューに当たり丘蒸汽ファンの方から推薦分を頂きましたので
特別にご披露させて頂きます。
●サイケデリックの山を超へ
ソフトロックの蒼い時を生き急いだ
恐るべき子供たち「丘蒸汽」が
1973年に発表した唯一の
アルバム。まるで白昼夢の様に
日常と非日常を行き来する
心象の多重性を持つ、驚愕の
サウンド・メイキング。その眩しく
激しい詩情の切れ味の新鮮さには
ひたすら度肝を抜く。
これは語り継ぐべき作品である。
もう幻なんかじゃないのだから、
歴史は書き替えられて
『のすたるじあ』が、みんなの
お気に入りに、最高の一枚となる
日が来ると、あとは信じればいいの
だ。 直枝政広(カーネーション)。
●2011年現在、丘蒸汽ほど
革新に充ち普遍的で
クオリティーの高い作品を
産み出しながら、
40年近くにも渡り、
世にこれほど全く評価されて
いなかった存在は知らない。
そういう意味でこのリイシューは
奇跡、そして正義。たまたまその
存在を知り、断片を耳にした時の
驚きは忘れられない。
まあ、兎に角ジャケ買いしなさい。
絶対マチガイないんで!
倉本美津留。
元所属のレコード会社より
今回のお話しを春前に頂いてから
二人で色んなことを話し合ました。
当時体調不良でレコーディングに
望んだ不本意な楽曲もあり
ボクとしては恥ずかしいので
機械的に何とか処理出来ないの?
なんて!西脇に甘えて見たものの
兄はきっぱり!「あれがあの時の
俺たちの精一杯の姿なんだから
堂々と誇りを持てよ!」と言われ。
そんな訳でサウンドには
一切手を加えずダイナミックに
発売当初のままデジタル化し
CDジャッケトも当時を象った
紙ジャケットの見開きを
贅沢にも使用させて頂きました。
でもそれだけでは丘蒸汽ファンに
二人の感謝の気持は届かないと...
四十年が経過したアルバムを
PC上で二人で聴きながら
当時の過去を会話形式で
思い出して見ようと言った。
これまた画期的なライナノーツを
一枚おまけさせて頂きました。
普通アルバムを紹介する
ライナノーツは音楽評論家とか
ミュージックルポライター等の
第三者が書くものなのですが
丘蒸汽本人の二人が
四十年の時をワープして
評論するなんて試みも さすが
丘蒸汽らしさは失われていません。
では特別に「生き通」ファンの
皆様だけにライナノーツの一部を
内緒でお見せしますネ。
Tempa:三十何年ぶりに
聴いたけど...ウム?...
ビックラコイタ...!。
Mutchin: 1973年の
録音だよ...オレたちって
何系...?!丘蒸汽系としか
言えない?(笑)。
T:当時新進気鋭の評論家、富沢
一誠さんがオールマイティーな
グループって書いてたよ。
M:同時に器用貧乏の危険性も
あるって指摘してた。
アタッテルかもな...。
T:キャロルの連中が「丘蒸汽は
Abbey Roadの続き
みたいだな」って言ってたっけ。
M:ほぼ同時にデビューしたけど
お互いビートルズを
意識してたもんなぁ。
T:彼らはビートルズの初期って
感じで、オレ等は「解散後を受
継ぐぞ!」ってな勢いでさァ。
話は飛ぶけどジョンがダコタ
ハウスで撃たれたことを
六本木スタジオで知った時
本気でジョンの魂を受け継ぐ
ことを心に誓ったんだゼ。
M:ホントに話飛ぶなぁ...あれは
1980年だろ?俺もショッ
クで暫くダメだったョ...。
話戻るけど今年7月で結成
40年だよ!(1971年
7月結成) デビュー39年、
当時を除けば今回初めてまと
もに全曲通して聴いたよな。
あの光と虹だけ♪~
T:♪~実質的デビュー曲だね。
この一年前に公害キャンペーン
ソング出してはいるけど...今
で言うエコロジーがテーマの
...(笑)。
M:「ギターはスタジオ・ミュージ
シャンが弾いたの?」って云う
奴がいるけど...全部オレたち
だシ...!。他の曲もアコギ~
エレキ類は全部オレたち!。
無理ないか。あの当時演奏は
プロ任せってアーティストが
多かったからなぁ。「ギターは
小さなオーケストラ」って
キャッチフレーズはこの曲
からイメージしたんだよな。
T:思い出した!、何かの番組で
ストリングス・アレンジを
してくれた現代音楽家の
黛 敏郎さん(故人)が
「この曲、君たちが作ったの?」
って訊くんだよ。「そうです。」
って答えたんだけど少しして
また「本当に君たちが
作ったの?」だって...。
M:信じてェ~!(笑)...GARO
のボーカル(大野真澄)が
この曲好きだって言ってた。
T:南こうせつも「丘蒸汽の美の
世界」とか言ってたなぁ...。
こんな感じで一曲一曲を
振り返り、当時のエピソードを交え
丘蒸汽の魅力に迫ります。
オルゴールミュージックの
第一人者として今や世界に
君臨する西脇睦宏(60)と
持ち前の反骨精神と正義感を貫き
友氣農行を推進する農明シンガー
天波博文(59)の原点とも言える
丘蒸汽の『のすたるじあ』は
放射能も加わった複合汚染の
脅威に晒される現代の若者たちに
足下ばかりを見ずに
未来へ結ぶ夢に向かって
歩いてゆくしかないだろうと
勇気と活力を与えてくれる筈です。
丘蒸汽は
時代の先駆けに終わらず
黒煙ではなく青空を吹き上げ
今でもエコピース駅を目指し
人が築いてくれた線路を走ります。
採りたての有機野菜と 懐かしい
オルゴールの音を乗せて...。

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2011年7月 7日
玄米にしようかじゃなく玄米に帰ろうです。日本人の故郷は玄米だから

『東日本大震災に寄せて②』
天波博文
風が東風に変わる度
黄昏色に染まる麦畑を哀れみ
例年になく見事に色づいた
山藤の花が雨に濡れる度
悲しみと怒りに打ちひしがれます。
僅か数十年の寿命のくせに
千年に一度の大災害なんて口にする
メディアや御用学者の馬鹿野郎共!
お前らの浮ついた言葉を聞く度
ヘドを吐きたくなり
TVを叩き壊したくなります。
行き場の無いそんな怒りを
未だ引きづりながら
震災から三ヶ月が経ちます。
本来なら穀雨となる筈の
田植苗月の雨も そして
蕎麦の花を輝きに包む皐月の雨も
今年は素直に喜べず
臆病風に吹かれ晴れ間を見ては
鍬を奮う日々が続いています。
しかし いつまでも
メルトダウンな記憶に
支配されている訳にもゆかず
足をしっかと大地に着け
自からへの励みの讃歌として
東日本の空と大地に送ります。
日本中の百姓よ!がまだせ!
♪どれみ村の米植~い♪
ず~と ずっとの昔から
虫も 鳥も ネズミも人も
いのちのもとは 米のたね
自然の順に な~らんで
みんな仲良く暮らせたら
絶えることなど ないのにネ。
玄・源・元気は 宝もの
無くなす前に 植えときナ
田植えだ 祭りだ 快晴だ。
これから 暑い 夏が来る
水に 太陽 住み着いて
岩を溶かし いのちを作る
雷さんが降りて来て
最後の仕上げに ちちんぷい
米は日本の エネルギー。
玄・源・元気に マイウェ~イ
田植えだ 祭りだ 快晴だ
トンボも バッタも 待っててネ。
玄・源・元気に マイウェ~イ
田植えだ 祭りだ 天晴だ
馬さん 牛さん 待っててネ
世界が平和になるまでは...。
東日本にお住まいの
「生き通」ファンの皆さん
この度の大惨事
心よりお見舞い申し上げます。
あの日から寝坊だったボクが
早起きな生活パターンに
変わってしまった程
ボクの人生に於いても
大きな変化が良いも悪いも
引っ括め次々と起こっています。
しかし 人生なんて変化の連続
変化が起こるから
また新しく生まれ変わるもの
確かに痛みもあるにはあるけど
これが治癒する時の痛み
母子共にこの痛みの中から
ボク等は誕生して来たのです。
それに何を言ったって
人に変わってもらえぬものが
痛みや苦しみや悲しみ
それに不安だってそうです。
抱えてる重さや大きさは
みんなそれぞれに違うのですから!
でも大丈夫 こんな時だからこそ
痛みを変わって貰えることは
出来ないかも知れないけど
あなたの思いを分かち合って
くれる人が新たな出逢いと共に
きっと目の前に現れますから...。
そして そんな人たちと重なり
もう一度この国らしい
暮らしと生活を築きましょうョ。
輸入して来た食べ物の
1/3を捨ててゆく様な社会は
もうやめましょうョ!
芸人に吐くまで食べさせ
そして それを見て笑っている
そんなテレビ番組なんて
スポンサー企業も視聴者も
もうやめましょうョ!
まるでローマ帝国の滅亡を
地で見ている様な気になるから...。
ネェこの期に野菜を中心とした
玄米食のパーセンテージを
上げてゆきましょうョ。
そして 出来る限り農薬や
化学肥料・化学合成添加物等の
まずいものと解っている食品や
「だって便利なんだもん」の
心ももうやめましょうョ!
今回の放射能汚染のことで
皆さんも解ったと思いますが
結局は大量に蓄積することが
病気や障害 最悪は死まで
つながっているのですから...
農薬や化学肥料も同じことで
化学物質はあちこちが尖って
血管や各臓器に突き刺さり
排泄されにくくなるのです。
放射能はその農薬等よりも
もっともっと目に見えない
細かい物質なので怖いのです。
しかし 過度に恐れることは
ありません。
地球は今回の様な
人的アクシデントですら
時間はかかるでしょうが
必ず元に戻してくれます。
広島や長崎 チェルノブイリが
そうである様に
気候変動や食物連鎖と言った
地球自身の自然治癒力を使い
微生物はもちろん
野の草花や虫たち動物たちが
また仲良く暮らせる環境を
この瞬間も休み無く浄化に向け
働き続けてくれているのですから
そうです。地球自身が
エコひいきなのですから...。
最後に人生を全うするには
誰しも困難や苦労が伴うものです。
同じ苦労を背負うなら
人から強制されたり
命令されたりする苦労ではなく
自らの志や夢を貫く為の苦労を
むしろ買って出てはいかがでしょう。
ボクが買って出た苦労は
大地を耕し種を蒔き
草を取り虫を取る
そして 収穫し土を洗い流し
ゴミを取り除く どれをとっても
手間のかかる大変なことですが
でもこの苦労は
やがてボクの血肉となり
自らの足で子供の頃より描いていた
夢の世界「どれみ村」へと
必ずや誘ってくれると信じています。
ボクもまだ夢の途中なのです。
どうぞ皆さんも
このアクシデントにめげず
いまこそ地球の声に耳を傾け
エコをひいきするのではなく
エコが当たり前の世界になる様
野菜を中心とした
玄米食に帰ることを提案致します。

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2011年5月 9日
「さぁ向かって来い!火龍 どんな悲しみも困難も 微笑みで躱してみせる!」

『東日本大震災に寄せて』
天波博文
映像で見ただけでは感じられない
被災されたさまざまな人の思いが
電気を源流とするライフラインの
復興に合わせ聞こえて来ます。
悲しみの深さや
その悲しみを乗り越え様とする
ギリギリの淵に立つ勇気が
ボクの中でレクイエムを奏でます。
その一方で公共事業の名に隠れ
放射能の黒い雨に身を曝さず
冨と権力を必死に守ろうとしている
事業家たちに怒りが湧いて来ます。
電気の消費を拡大させる為に
全国にペットボトル入りの自販機を
蜘蛛の巣の様に張り巡らせ
世間には電力不足だと脅かす。
日本で現在運転中の原発は
五十五基(着工準備中十一基)
今後もまだ私欲の為に原発事業を
推進させ様とする
電気事業団を初め経団連や
不甲斐ない政治家たちに
本当に腹が立ちます。
そして それを知りながら
頻繁ではないにしろ
ペットボトル飲料を買ってしまう
ボクに自己嫌悪を感じています。
今はただ ここ熊本の地より
「お静まり~お静まり~。」と
龍神様をなだめながら
棚畠を耕すことで
被災者への祈りとさせて頂いてます。
無条件降伏の敗戦国であり
世界最初の被爆国である日本が
その戒めを忘れ原発を作り
便利さと過ぎた豊かさの上に
あぐらをかいていた代償が
今回の「水の災害」と呼ぶべき
東日本大地震ではないでしょうか。
地震だけならまだしも
大津波によって
尊い多くの命が奪われ
その津波によって
原発での水素爆発が起こり
目に見えない悪魔によって
子供たちの健康を
強いては将来の命をも脅かす
事態を招いてしまったのです。
それだけでありません。
負の連鎖は買い占めによる
救援物資の不足や燃料不足
更には水道水の放射能汚染と
都会を大混乱に貶め
最悪の事態まで拡散しています。
また震災一週間後には
満足な議論もせずに国連が
リビアに介入すると議決
戦争まで始まってしまいました。
今回の大惨事にボクは
何度涙したか解りません。
海に向かいご主人の名を叫ぶ
婦人を見ては悔し泣きし
がれき化した家の前に立ち
自らに負けまいと笑顔を作る
若夫婦を見てはもらい泣きし
家族のため日本を守るために
放射能のまっただ中に飛び込む
男たちを見る度に
苦い涙がにじみ出ました。
また世界中が日々支援の手を
続々と差し伸べてくれることに
心から感謝し涙を流しました。
涙腺の弱いボクは
羽根を折ってしまった鳥の様に
その場から飛び立つことが出来ず
ただ泣くことで傷ついた心を
忘れ様としていたのです。
頭の中が地震で一杯になり
グチャグチャになっていたボクに
今やるべきことを教えてくれたのは
震災後六日が経過した
三月十七日の木曜でした。
木曜日は二十三年間続けて来た
どれみ村の野菜BOXの出荷日。
朝七時にセットしたタイマーが
布団に潜っているボクに
進軍ラッパを容赦なく響かせます。
「♪パッパッカ パッパッパー♪」
反射神経で起き上がったボクは
高校を卒業した息子に貰った
ジャージにサッと着替え
カワセミ色の吉尾川へと
クレソンを採りにゆきました。
農閑期に当たるこの時期は
野菜BOXのメニューが揃わず
フキノトウ・ノビル・クレソン等の
山菜を採取するのがボクの係。
指先が凍る程まだ冷たい川の水も
雪の降る寒々とした避難所で
今後の不安に震える被災者を
思えば何のことはありません。
思い出す度込上げてくる物を堪え
ボクはクレソンを摘みました。
茨城・栃木・千葉・埼玉・東京・
神奈川村明さん!
食料のことは心配しなくて良いョ!
こんな時のために
ボクはどれみ村を始めたんだから
困難に負けず頑張ってて下さいネ。
出荷センターへの八十㎞の道のり
原発処理の状況をラジオで
聞きながらボクは車を走らせます。
状況は悪化の一途を辿るばかりで
チェルノブイリに次ぐ
レベル五に引上げられ
いつ爆発してもおかしくない
状態にも拘らず
政府は 状況は改善の方向にあり
放射能漏れも直ちに健康被害を
及ぼす状況ではないを繰り返します。
ボクは何言ってんだ「この嘘つき」と
ラジオに向かって怒鳴りつけました。
出荷センターに着き出荷の準備を
進めていると 人参や大根を持って
農職人のみんなが集まって来ました。
「それでは三月第三週の
出荷を始めたいと思います。」と
ボクが合図を出し
いつもの様に和気あいあいと
箱詰め作業が始まりました。
女性群が何やら内輪話をし始め
それにつれ男性群も話し始めました。
ボクも相づちを打ちながら
箱詰め作業をしていたのですが
しばらくしてふと気着いたのです。
誰一人地震の話題に触れないのです。
何故なのだろう?ボクは地震の話
原発の話をしたくて仕方ないのに
誰一人その話題に触れないのです。
結局箱詰め作業は終ってしまい
ボクは配達の為に「お疲れさん」と
声をかけ車に乗り込みました。
ラジオでまた原発情報を
聞きながら運転をしますが
何故だろう?が頭から消えません。
配達に行く先々では
みなさんその話題に触れるのにです。
何故だろうの疑問は結局
家に帰るまで着いて廻りました。
帰宅後早速PCの前に座り
メールに寄せられた情報や
政府やTVとは違う角度からの
ネット情報に見入っている時でした。
そうか!何故お百姓さんたちが
地震の話題に触れなかったのか
「解ったぞ」と 思った瞬間
またボクは自己嫌悪に落ちました。
何が農明シンガーだ!
何が農的暮らしだ!ボクはそこで
所詮百姓になり切れない
情けない都会人を自覚したのです。
今回の件で彼等が知っているのは
TVや新聞で得た情報だけですし
ましてや毎年季節が変わる度に
鳥や虫からの被害にやられ
尚かつ台風や干ばつと言った
自然災害の脅威に
常に立ち向かっている それが
有機農業者の彼等であることを
そしてここは熊本であることを...。
だからこそ彼等は目の前のことに
淡々と向かって生きられるのです。
それに控え
色んなことを知っているが故に
不安や怒りに振り回され
仕事も手に着かなかった
軟弱なボクとは違うと言う事を
痛切に思い知らされたのです。
最後に
この国を心底支えて来たのは
今回尊い命を犠牲になされた
お百姓さんや漁師さんたち
そしてその家族なのですョネ。
ありがとうございました。
今もこれからも
ボクのやるべきことは
あなた達の犠牲を無駄にしないで
原発や海外の食料に頼らない
自立した「瑞穂の国」に
再生させることです。
頑張れ日本!頑張れ日本人!

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2011年3月 1日
春の色 温かな色。 安心と希望をくれる色 それぞれ鮮やかに咲き誇れ

凍てついてしまった大地が
春の温もりを戻すには
もう少しかかるのかナ?と
野菜たちの生育を気にしながら
春本番を待つ今日この頃です。
昼は白 夜は黒
この冬は ボクの視界から
色が消えてしまう
そんな瞬間が何度か訪れました。
「色が消えてしまうですって?
そりゃ~単に天波さんが年とって
色ボケになっただけじゃないの?」
年を取ったのは確かですが
まだ眼鏡やオムツの
ご厄介にはなっていませんから
ご心配なくです...。(苦笑)
正確に伝えれば
陽が燦々と反射する銀色の世界と
月夜に舞う雪月花の金色の二色は
見えたのですから
色ボケではないと思いますけどネ。
雪を見ると最初に思い出すのが
やはり富士山の一三七〇mに
暮らしていた頃のことです。
山中湖から御殿場に抜ける
籠坂峠の頂上付近にあった我家
窓に映る白銀の富士山を眺め
丸太のまま薪が入れられる様な
暖炉の前で作曲した
『ハリモミ樹林』や
『富士アンビエント第一章』の
孤独なメロディーが蘇ります。
「寒いから透き通っていて
冷たいから尖っている。
そんなまっさらさらな雪の結晶も
幾重にも重なると 目に優しい
温もりとなって伝わるのです。」
雪のそんなイメージを
なんとか音楽で表現しようと
ゴッホにも影響を与えた
歌川広重の「大橋の雨景」等を
眺めながら 無彩色の世界を
どう表現したら良いのか悩み
作曲に没頭していた当時を
ふと思い出しました。
素敵な曲ですので機会があれば
是非皆さんにも聞いて
頂きたいナと思います。
(藤本社長!ライトなスタッフ
ファンの皆さんに 東京でボクの
コンサートを開催して下さいョ。)
それでは今回のエコひいきを
進めてゆくことにします。
今回のお話しのテーマは
序文を見る限り「雪」では?と
思われる人もいるでしょうが
旬は春ですので「色」について
書いて見ることにしました。
(へそ曲がりのイケズ!)
「今朝の朝焼け見ましたか?
青紫がとっても奇麗でしたネ。」
「公園のチューリップの彩りが
春を賑やかにしてくれますネ。」
「今日はあの娘とデート
何色の服を着てゆこうかナ~?」
なんて具合に
私達の日々の生活の中に
あたり前に存在する「色彩」。
その「色」は私達だけでなく
万物の生命活動そのものを
左右する存在にあるのです。
冒頭の山中湖に住んでいた頃
その「色」に不思議な感動を覚え
止めどない涙が溢れた時の
体験からまずはお話ししますネ。
二〇〇六年と二〇一〇年に
二十年ぶりの全面結氷をした
山中湖だそうですが
ボクが暮らした八〇年代初頭は
冬の平均気温がマイナス二十度
積雪ですら三mは有に越える
それは厳しい極寒の地でした。
冬となれば当然樹々の緑も
湖の透明なブルーも
それこそ人の私利私欲が
我先にと立ち並ぶ
派手な配色の看板ですら
雪が全てを覆い隠し
白紙に戻してしまいます。
もちろん室内は異なりますが
外の景色は殆どの色を失うのです。
そんな早春のある日。
甲府市の県庁へ行くことになり
四駆にスパイクタイヤを装着
ドライブがてら 三ツ峠経由で
向かった日のことです。
その日は天候に恵まれ
絶好の撮影日和
車内から身を乗り出し
愛用のニコンF4で
雪景色を撮り捲りました。
(この頃デジカメがあったら
どれだけ貯金が出来たかトホホ...。)
三ツ峠を越へ 残雪の残る坂道を
低速で下ってゆく時のことです。
それまでは雪とその影の
モノトーンの世界に
目を奪われていましたが
突然!ボクの網膜に写ったのは
「桃色!ピンク色!」。
かなり大げさではありますが
桃の産地である甲府盆地全体が
大きな桃色のブーケに見えました。
ボクは桃色にピントを合わせ
シャッターに指を置きました。
その時です。
ボクの頬をつたわる
無意識の涙に気づいたのです。
故松田優作が撃たれる名場面の
「なんじゃこれ~」ではないけど
寂しい感情も悲しい感情も
一切ないボクが
無意識に泣いているのです。
それも止めどなく爽快に
涙がこぼれ出るのです。
「なんじゃこれ~」の気分で
シャッターも切らず
桃色モードに浸りながら
自分の心に何故だろう?を
繰り返し問いました。
その日は解りませんでしたが
数日経って思ったのは
前知識もキャリアもないボクが
突然ホテルの支配人を任され
意識していませんでしたが
相当日々のプレッシャーが
溜まっていたのでしょう。
その緊張が春の桃色に触発され
一気に解き放たれたのでしょう。
例えるなら
新鮮でまばゆい程に輝く
ホワイトホールの中にいた
無機的なボクが
有機体の発する桃色原子との
触媒によって
一気に体内の浄化作用が
高まったのではないでしょうか。
(余計に解んねぇョ!)
簡単に言えばボクの生理現象が
色彩によって変化させられたのです。
(ただ感動しただけじゃない!)

難しいかも知れませんが
もう少し深く掘り下げてみますネ。
色彩とは「光そのものである。」
とニュートンの言葉にある様
白光(太陽光線)は
種々の色光からなりたち
その異なる屈折率によって
赤 橙 黄 緑 青 藍 紫の
七つの色の帯に分散するのです。
では光とは何か?となると
現代の科学では「電磁波」となり
電磁波とは?何かとなると
ビッグバーン説をたどる為の
「光の化石」となるそうです。
その光の化石 言わば
過去の記憶とされる「色彩」は
当然目で見ているのですが
実は皮膚でも見ているのです。
先程の色の帯(スペクトラム)の
赤から肉眼で見え始め
紫を経て再び目に見えない
紫外線となります。
紫外線は人体に当たり五〇%を
皮膚で反射し 残りの五〇%を
身体に取り込み 熱に変え
ビタミンの合成に役立っています。
有名なのはビタミンDです。
最近の研究では光や色彩によって
生物の筋肉は緊張と弛緩を
繰り返しているそうです。
因にその研究の結果
ライト・トーナス値と言うそうですが
一番弛緩した正常値が二三で
ベージュ色とパステルカラーが
これに最も近く 青が二四
緑が二八 黄三〇
橙三五で緊張と興奮に変わり
赤は四二で最高潮となり
血圧まで上げしまうそうです。
野菜たちもそうですが
いつも光を求めていますし
その光の加減により
大きさや色合い 味わいまでも
変えてしまうのですから
陽が当たる 当たらないは
健全な生命活動に於いて
欠くことの出来ない
重要なポイントだと思います。
(でも人も野菜もビルの中...。)
ここまでの基本は
自然界にある色のことでしたが
食品に使用する色素や着色料
と言った色の殆どは
人工的に化学合成された色です。
食品だけに限らず
住まいに使われるペンキも
衣類の染色に使われる染料も
石油化学が産んだ産物なのです。
そして元来
種を蒔き 命を育むことが
芸術の意にあるべき
画家の絵の具や陶芸家の釉薬も
残念ながら殆どが化学合成の
原材料に依存しているのです。
(そんなんじゃ
本当には癒されないョネ!)
更に街で見かけ驚いたのですが
奇麗な造花だナと思いきや
触れて見ると生け花なのです。
水に色素を混ぜ毛管現象を利用し
見たこともないブルーやオレンジ
ピンク色のかすみ草やデイジーを
水耕栽培で作ったのだそうです。
花好きのボクがゆえ
思わず衝動的に購入したいと
本能を揺さぶられた程でした。
買わずに思い留まれたのは
「それじゃ天波のエコひいきが
ウソ色になっちゃうじゃん」の
ボクの古くさいプライドと
自然回帰を望む
プリミティブな本能が
不買運動!不売運動!と
ブレーキを踏んでくれたお陰です。
万物の生命活動に支障を来たす
結果を招くものは 当然不買。
結果を招きそうなものは
作り手自身が不売する
勇気を持って欲しいですョネ。
それがボクの目指す
エコひいき的生き方なのです。
だからこそ都会を離れ
山奥の古民家に住んだのです。
有機農産物を仲間達と生産し
保存食としての加工品まで作り
自らも食べているのです。
こんな風に書くと格好良いですが
今回色をテーマにして気づいたのは
かく言うボクも
身の回りにある物の「色」は
いのちや環境に配慮し忘れた
ウソ色の色ボケ商品や
作品ばかりだナと思いました。
数を求めるばかりではなく
何とか工夫をして再生するか
せめて身の回りから離した方が
自らの自然体に出逢えるかもです。
それには物に対する執着心に
ブレーキを掛けなくっちゃですネ。
(それが出来ねんだョナ~。)
最後に音惚け老人のボクでも
PCに慣れて来ましたので
下記のメールアドレスに
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農明シンガー