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2011年8月31日

初期化が望まれる時代に40年の時を超へこつ然とその姿を現した『丘蒸汽』-JKL32-。今こそ郷愁感溢れる瑞穂の国への元返り。

IMG25_1.jpg           天波博文
 二十歳になる時に味わった
歳を取りたくないと思った
あの抵抗感と
そうは言っても宇宙時間には
逆らうことは出来ないのだからと
未来を受け入れた時の
あの不安感と期待感が
還暦を一年後に控え交錯します。
 十才の時に心が決まった
憧れの音楽家への路の先にあった
十九才でのプロデビュー。
あんなに有頂天だったボクの夢も
現実社会の諸刃によって
ズタズタに切り裂かれましたが
それでも決して夢をあきらめず
自立の路を腹に決めた三十代。
「音と農に生きる」なんて
訳の解らないビジョンを打ち立て
音楽と野菜が好きな人に宅配する
変な有機の八百屋さんを生業に
四十代・五十代をしっかり
大地に根を張り生きて来ました。
 そんなボクに振って湧いた
四十年前のデビューアルバム
『のすたるじあ』のリシューの話。
十九才の頃に結成した
フォークロックデュオ「丘蒸汽」の
最初で最後の隠れた名アルバムが
再発売されることになったのです。
それは早過ぎた恐るべき子供たち「丘蒸汽」ファンの根強い
愛と希望と因縁が三つ巴に絡み
八月二十四日に復活するのです。
 青春時代を駆け抜けた
心友で兄貴役の西脇睦宏と
破天荒で病弱な舎弟分の天波が
六畳の部屋でラーメン啜りながら
奏で合った二本のギターサウンド。
自由で美しいメロディーに加え
メッセージとしての歌詞も
斬新で時代を反映した
リアリティーと創造性に富んだ
叙情詩の様だと思います。
 それに40年も前から
環境のことを考えていた丘蒸汽の
先見性には自分でも驚きましたし
まさにエコひいきです。(自画自賛)
 これ以上自分たちを讃えるのも
ちょっと こそばったいので今回の
リシューに当たり丘蒸汽ファンの方から推薦分を頂きましたので
特別にご披露させて頂きます。

 ●サイケデリックの山を超へ
ソフトロックの蒼い時を生き急いだ
恐るべき子供たち「丘蒸汽」が
1973年に発表した唯一の
アルバム。まるで白昼夢の様に
日常と非日常を行き来する
心象の多重性を持つ、驚愕の
サウンド・メイキング。その眩しく
激しい詩情の切れ味の新鮮さには
ひたすら度肝を抜く。
これは語り継ぐべき作品である。
もう幻なんかじゃないのだから、
歴史は書き替えられて
『のすたるじあ』が、みんなの
お気に入りに、最高の一枚となる
日が来ると、あとは信じればいいの
だ。 直枝政広(カーネーション)。
 ●2011年現在、丘蒸汽ほど
革新に充ち普遍的で
クオリティーの高い作品を
産み出しながら、
40年近くにも渡り、
世にこれほど全く評価されて
いなかった存在は知らない。
そういう意味でこのリイシューは
奇跡、そして正義。たまたまその
存在を知り、断片を耳にした時の
驚きは忘れられない。
まあ、兎に角ジャケ買いしなさい。
絶対マチガイないんで!
          倉本美津留。
 元所属のレコード会社より
今回のお話しを春前に頂いてから
二人で色んなことを話し合ました。
当時体調不良でレコーディングに
望んだ不本意な楽曲もあり
ボクとしては恥ずかしいので
機械的に何とか処理出来ないの?
なんて!西脇に甘えて見たものの
兄はきっぱり!「あれがあの時の
俺たちの精一杯の姿なんだから
堂々と誇りを持てよ!」と言われ。
そんな訳でサウンドには
一切手を加えずダイナミックに
発売当初のままデジタル化し
CDジャッケトも当時を象った
紙ジャケットの見開きを
贅沢にも使用させて頂きました。
 でもそれだけでは丘蒸汽ファンに
二人の感謝の気持は届かないと...
四十年が経過したアルバムを
PC上で二人で聴きながら
当時の過去を会話形式で
思い出して見ようと言った。
これまた画期的なライナノーツを
一枚おまけさせて頂きました。
 普通アルバムを紹介する
ライナノーツは音楽評論家とか
ミュージックルポライター等の
第三者が書くものなのですが
丘蒸汽本人の二人が
四十年の時をワープして
評論するなんて試みも さすが
丘蒸汽らしさは失われていません。
 では特別に「生き通」ファンの
皆様だけにライナノーツの一部を
内緒でお見せしますネ。

Tempa:三十何年ぶりに
  聴いたけど...ウム?...
  ビックラコイタ...!。
Mutchin: 1973年の    
録音だよ...オレたちって
  何系...?!丘蒸汽系としか
  言えない?(笑)。
T:当時新進気鋭の評論家、富沢  
一誠さんがオールマイティーな  
グループって書いてたよ。
M:同時に器用貧乏の危険性も
 あるって指摘してた。
 アタッテルかもな...。

T:キャロルの連中が「丘蒸汽は   
Abbey Roadの続き
 みたいだな」って言ってたっけ。
M:ほぼ同時にデビューしたけど   
お互いビートルズを
 意識してたもんなぁ。
T:彼らはビートルズの初期って   
感じで、オレ等は「解散後を受
 継ぐぞ!」ってな勢いでさァ。
 話は飛ぶけどジョンがダコタ
 ハウスで撃たれたことを
 六本木スタジオで知った時
 本気でジョンの魂を受け継ぐ
 ことを心に誓ったんだゼ。
M:ホントに話飛ぶなぁ...あれは
 1980年だろ?俺もショッ
 クで暫くダメだったョ...。
 話戻るけど今年7月で結成
 40年だよ!(1971年
7月結成) デビュー39年、
 当時を除けば今回初めてまと
 もに全曲通して聴いたよな。

 あの光と虹だけ♪~
T:♪~実質的デビュー曲だね。   
この一年前に公害キャンペーン
 ソング出してはいるけど...今
 で言うエコロジーがテーマの
 ...(笑)。
M:「ギターはスタジオ・ミュージ
 シャンが弾いたの?」って云う
 奴がいるけど...全部オレたち
 だシ...!。他の曲もアコギ~
 エレキ類は全部オレたち!。
 無理ないか。あの当時演奏は
 プロ任せってアーティストが
 多かったからなぁ。「ギターは
 小さなオーケストラ」って
 キャッチフレーズはこの曲
 からイメージしたんだよな。
T:思い出した!、何かの番組で
 ストリングス・アレンジを
 してくれた現代音楽家の
 黛 敏郎さん(故人)が
 「この曲、君たちが作ったの?」
 って訊くんだよ。「そうです。」
 って答えたんだけど少しして
 また「本当に君たちが
 作ったの?」だって...。
M:信じてェ~!(笑)...GARO
 のボーカル(大野真澄)が
 この曲好きだって言ってた。
T:南こうせつも「丘蒸汽の美の
 世界」とか言ってたなぁ...。
 こんな感じで一曲一曲を
振り返り、当時のエピソードを交え
丘蒸汽の魅力に迫ります。
 オルゴールミュージックの
第一人者として今や世界に
君臨する西脇睦宏(60)と
持ち前の反骨精神と正義感を貫き
友氣農行を推進する農明シンガー
天波博文(59)の原点とも言える
丘蒸汽の『のすたるじあ』は
放射能も加わった複合汚染の
脅威に晒される現代の若者たちに
足下ばかりを見ずに
未来へ結ぶ夢に向かって
歩いてゆくしかないだろうと
勇気と活力を与えてくれる筈です。
 丘蒸汽は
時代の先駆けに終わらず
黒煙ではなく青空を吹き上げ
今でもエコピース駅を目指し
人が築いてくれた線路を走ります。
採りたての有機野菜と 懐かしい
オルゴールの音を乗せて...。
IMG25_2.jpg

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