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2007年3月 1日

ALWAYS 三丁目の夕日

私たちは

「一体どこに向かって、一体何をしようとしているのか?」

新連載「ヌースでシネマ」は今話題の映画をヌース理論の提唱者 半田広宣氏にヌース理論をベースに独自の視点で解説していただきます。

記念すべき第一回目は「ALWAYS 三丁目の夕日」です。

ALWAYS 三丁目の夕日

【作品紹介】
昭和33年ー東京タワーが建設中だったあの頃。毎日が明るく輝いていた。
全ての日本人に贈る夢と希望いっぱいの珠玉のエンターテイメント!
昭和33年。今よりも便利で、裕福でなかったけれど、人々は、来るべき21世紀を夢見ながら、ひたすら前に突き進んで生きていました。
この年着工された東京タワーは、人々の夢と希望の象徴となり、着々と天に向かって伸び続けます。
「ALWAYS 三丁目の夕日」は、そんなタワーを背景に、個性豊かな面々が織り成す、感動と希望の物語です。
下町の住民たちには、吉岡秀隆、堤真一、小雪、薬師丸ひろ子ら豪華メンバー。
山崎貴監督 (ALWAYS 三丁目の夕日HPより)

藤本
今回から始まる連載企画は、今話題の映画を題材に、半田さんが提唱しているヌース理論から見た視点で、お話を聞かせていただこうと思っています。よろしくお願いします。

半田
はい、こちらこそよろしくお願いします。ヌース理論とどうからめられるかは分かりませんが、なるべく分かりやすく話をしたいと思います。

藤本
今回の映画・「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代設定は、1958年(昭和33年)で、ちょうど僕が生まれた年なんです。1945年(昭和20年)第二次世界大戦の終戦の年から13年目に、世界で始めて原爆が投下された広島で生まれ育ちました。戦後、何もかも失った日本国民が、ゼロから国の復興を目指して頑張っていた時代ですよね。モノが無くてもお金が無くても、まわりの人達と家族のような付き合いをしていて、生き生きと暮らしていた良き時代。映画の題名にも「三丁目の夕日」とあるように「~丁目」と言う単位が存在していたように思います。

半田
僕も昭和31年生まれだから、この作品の時代背景にはとてもノスタルジーを覚えたね。「昔はよかったなぁ」という台詞を吐くようになったら、年取った証拠だけど、僕らの世代にとってはほんとうに「古き良き時代」だったように思えるよね。まだ隣組なんかあって、ご近所は皆、親戚付き合いのようなことをしてた。

藤本
そうですね。そう言った意味では、昭和33年頃は地域共同体の働きがとても円滑に機能していて、生き生きと生活が出来ていたと言えますよね。その後、資本主義・欧米化が進み、どんどん物質主義・お金至上主義に傾いて行ってしまった。今現在では、あの頃の人達が夢見ていた「豊かな生活・幸せな生活」には、ほど遠い世の中ではないでしょうか?モノに溢れて、何不自由の無い生活をしているにもかかわらず、心が荒んでいる時代です。毎年の自殺者は、3万人を超えてしまいました。幼児虐待・いじめ・殺人事件などなどのニュースは、毎日のように報道されています。この現象を、どう捉えたらいいのでしょうか?

半田
昭和40年代に入って日本は高度成長期に入ったでしょ。ここで、「幸福=裕福」っていう幻想ができてきたと思うんだ。そして、自由主義の世界では誰でも頑張れば裕福になれるっていうアメリカ型の成功概念が広まっていった。でも、アメリカ型の成功っていうのは、数量の世界だよね。数量があたかも力であるかのような考え方が生まれたんだね。だから、会社を大きくすること、大きく稼ぐこと、大きな家を建てること、大きな車を持つこと、といったように、物質的な裕福さの指標となるお金を稼ぐことに、皆、奔走するようになったんだと思うな。

藤本
そうやって、今に行き着いた訳ですが、その物質的裕福さだけを追い求めてきたツケが今の社会に大きく反映してきている。「自由主義」「資本主義」「個人主義」と言うのがキーワードかな?話が広がっていくようですが、旧ソ連が崩壊して、日本だけではなく世界中がその方向に向かってきたと思います。ニューヨークテロ・イラク戦争・地球温暖化など、世界中で起こっていることと、日本で起こっている虐待やいじめ問題・自殺の問題などは、実は同じ根源を持って起こっていると思います。

半田
こうなるとやっぱり資本主義というのが大きな問題を孕んでいるというのが分かってくるよね。中国だって建前は共産主義だけど、実質的には資本主義的な市場原理で突っ走っているよね。皆、お金じゃないと言いながらも、結局、お金の価値を最優先にして生きている。アメリカのイラク政策だってそうだし、環境問題だってそうだし、虐待やいじめにしたって、そうした価値でしかものが見れなくなってしまった人間の不安や恐怖から起こっているわけでしょ。しかし、皮肉なことに人間がそうやって実利的な価値に走れば走るほど、人間が生きる実感をどんどん失わせていくんだよね。

藤本
確かに「生きている実感が無い人」は、ますます増えている様な気がします。自殺者の急増は、その反映かも知れませんね。その根底にある人間の価値観が、この現状を生み出しているとして、今後人間は、どのような価値観を見出していけばいいのでしょうか?

半田
人間が生きることにおいて最も重要なのは「他者」との共感であるってことを再認識すべきじゃないだろうか。もちろん、これは、皆仲良く、調和してやろうよ、なんてことを言ってるわけじゃない。そんなことは誰でも言ってきたし、また、それがいくら叫ばれても、事態はますますひどくなっているよね。問題はどうして他者と調和しなくてはならないのか、というその理由なんだ。ヌース理論というのは、その理由を宇宙的な視点から語ってるわけだよ。

藤本
重要なポイントは、「他者との共感であることの再認識」で、問題は「なぜ他者と調和しなくてはいけないかという理由」ですか?

半田
だってそうじゃない。イジメや自殺の問題だって、「なんでいじめや自殺が悪いことなの?」って、そう思っている連中が増えてきているわけだよ。
以前、「どうして人を殺してはいけないのか?」という本が流行ったことがあるけど、藤本さんが子供に同じこと聞かれたらどうする?「だって、お前が殺されたら嫌だろ。自分が嫌だと思っていることを人にしてはいけないよ。」ってことで、昔では話がそこで済んだ。でも、今は違うんだよ。「オレ、殺されてもいいよ。」っていう若者も増えて来ている。そういう連中に既存の道徳観はもはや通用しない。
本当の問題はそこなんだよ。生きる価値が人のつながりの中にあるとしたら、人のつながりはなぜ大切なのか、そのことにしっかりとした理由を与える必要がある。

藤本
今までの価値観や道徳観ではダメなんですよね。半田さんの言われている「生きる価値が人のつながりにあり、人のつながりがなぜ大切なのか?」
 うーん!その理由を明確に答えるとなると難しいなあ(笑)。

半田
ヌース理論ってのは、その理由を語る理論なんだよね。それも宇宙全体の視座から。今の科学的世界観ではロジックはしっかりしてても、肝心の人間の心については何も語れない。かたや、宗教的世界観では心の大切さについては語れても、ロジックがない。
ヌース理論が物質と意識の統合理論と銘打っているのも、科学的なロジックと心の大切さの両方を結びつけようとしているからだと思って欲しいんだ。つまり、宇宙のすべては人間の自己と他者の関係によって支えられている。この関係が崩れると宇宙全体が滅ぶ。 そういった世界観を構築しようとしているんだよね。

藤本
宇宙全体を構成する要因は、人間の「自己」と「他者」との関係が基本として考えられると言うことですか?この関係がちゃんとしていれば、世の中が変わり、宇宙全体も変わると言うことですよね。自分の存在と他者の存在が、凄くダイナミックで大きな広がりを持っているような感じがしてきますね。

半田
そうなんだ。人間が自他関係の中で存在させられていることがいかに大事なことか、人間という存在が実は宇宙で最もマクロな存在であること、だから決して、僕らは宇宙の片隅のちっぽけな存在ではないということ、そういったことを論理立てて、きっちりと説明する理論が出てくれば、僕らは新しい大地に立てるよね。そして、新しい文明のイメージさえも描ける。今、世界を暗澹とさせているのは、そのビジョンがどこにも見つからないからだと思うんだ。

藤本
確かに「自己と他者」「身体と心」「日本とアメリカ」「科学と自然」などなど、分断して思考してますよね。すべてが繋がるイメージや壮大なビジョンが無いと思います。それらを統合していく新たなビジョンを立ち上げることが大切ですよね。

半田
グローバル社会と言われているように、今や地球上が経済のみならず、文化的にもすべて結ばれようとしているよね。もちろん、ここにはインターネットや携帯電話を始めとするデジタル技術の進歩が大きいわけだけど、これは、別角度から見れば、人間一人一人の個体と地球の結合のように思えるんだ。幾何学的にいうと、球面上の一点から広がった輪が徐々に広がって地球上をすべて覆い込んで、再びもとの一点に戻ってきたって感じかな。こんどはそうしたグローバル化した一個人個人がつながって、地球という意識を作り上げて行く時代なんだと思う。これからもガンガン飛ばしますから、よろしくね。でも、「ALWAYS 三丁目の夕日」からとんでもない話になっちゃったね。まっ、いいか(笑)。

藤本
そうそう半田さんが書いた『2013人類が神を見る日』が翻訳されてアメリカで出版されるそうですね。楽しみにしています。

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