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2008年1月17日

新春特別インタビュー

私たちは

「一体どこに向かって、一体何をしようとしているのか?」

「ヌースDEシネマ」は話題の映画をヌース理論の提唱者半田広宣氏にヌース理論をベースに、独自の視点で解説していただきます。

今回の「ヌースDEシネマ」は、半田さんの著書「2013:人類が神を見る日」国内リニューアル版と、アメリカ版の発行を記念いたしまして、ヌース理論の基本概念をお話いただきました。


藤本
あけましておめでとうございます。
97年4月に徳間書店から発行された、半田さんの著書「人類が神を見る日」が、この度100ページを加えて今月中旬に発売されます。
そして、アメリカ版も同時に出版される予定ですよね。
多くの方に、ぜひ読んでいただきたいですね。

半田
ありがとうございます。ここ数年、ヌースの四冊目の著書にずっと取り組んでいるんだけど、射程を大きく取りすぎたせいか、なかなか大変な作業になってるんだよね。

その意味で、「人類が神を見る日」の米国出版と新装改訂版の仕事が舞い込んできたのは本当にラッキーだったなぁ(笑)。
何と言っても「人類が神を見る日」がヌース理論の原点となる本だから、僕にとっても、初心を思い出す意味でとっても有意義な作業になってるよ。

藤本
四冊目の本も楽しみにしてますよ。大変な作業でしょうが頑張ってください。
今年が08年ですから、「人類が神を見る日」が発行されてから11年も経つんですね。
そして、13年まであと5年ですよ。リニューアル版を追筆されたこともあって、ヌース理論の原点や初心を思い出したとおっしゃってましたが、ヌース理論って改めて何なんですかねえ?簡単には言えないでしょうけど(笑)

半田
今度のリニューアル版にも書きましたが、人間を別の生き物にするための新しい概念体系と言ったところかな。とにかく、現在、僕らを支配している「人間とはこれこれこういうものだ」といった人間観を大きく変えたいんですよね。

僕が思うに「人間」というのも、僕らの生をある局面から見た単なる概念にすぎないよね。人間が大昔からいたわけじゃない。人間は、理性や科学、そして自我、と一緒になって生まれてきた近代の発明品なんだ。

だから、人間が人間ではないものに変わったとしても少しも不思議じゃない。
ただ、別のものへと変わるためには、人間を取り巻いているあらゆる価値観や世界観をすべて一旦はぎ取って、全く新しい世界の見方を構築していく必要があるよね。ヌース理論はそれを考えているんだよね。

藤本
『今の人間観を大きく変える=人間が人間じゃなくなる=全く新しい世界の見方を構築する』という事が、ヌース理論の目的なんですよね。
半田さんは、どうして、そのような考え方に至ったのですか?

半田
もちろん、一番大きかったのは自分がしたチャネリング体験が原因だと思うんだけど、その情報を丹念に整理して本質について考えて行くと、どうしても古代思想と重なるところが多かったんだよね。今の歴史観というのは、直線的で、人間というのは歴史の経過とともに進化して、より文明化された社会を築いていくっていう暗黙の了解みたいものがあるでしょ。でも、古代においてはもちろん歴史なんて概念もなかったし、人間という概念もなかった。時間は円環的であり、星々の運行のように、宇宙もまた円環的に回帰するという考え方が主流だったんだよね。

この宇宙の円環的な循環というのは、現代宇宙論が言うようなビッグバン/ビッグクランチといった物理的宇宙の繰り返しではなく、人間の霊性の在り方の移り変わりを意味してたんだ。

言うなれば、1年を巡る四季のように、意識の在り方にも四季のようなものがあって、それが順番に訪れてくる。今の人間は冬の霊性が作り出しているもので、「人間が人間じゃなくなる」と言っているのは、いわば春の霊性の到来のようなものかな。

藤本
古代思想と重なっていくところが多いのですか?歴史観が直線的というのと円環的な循環との違いをもう少し具体的に話してください。

半田
直線的というのは、時間を重ねるたびに宇宙が進化をし続けているという考え方のことだよ。例えば進化論とかその代表。今では進化論は、単に生物世界だけの話ではなくて、宇宙全体に敷衍されていて、物質進化の延長線上に生命が生まれてきたということになってるよね。だから未来についても、たとえ人間が滅んだとしても、それに変わる何らかの進化形態がさらに物質進化の延長として永続していくって考え方をしているよね。

よくSF映画なんかでコンピュータが人間にとって変わるとかいう話があるけど、そういうのも直線的な時間概念からくるものだと思うよ。円環的というのは、宇宙は絶えず生成と消滅を繰り返すという考え方。これは哲学者たちは「永遠回帰」って呼んでる。

簡単にいうと、宇宙の始まりと終わりはつながっているということ。物理学の世界でも宇宙が膨張と収縮を繰り返すっていうフリードマンモデルのような振動宇宙説もあるけど、古代人たちが考えていた回帰的な宇宙というのは、物質レベルの話ではなくて、霊的レベルの話なんだよね。

藤本
「人間の価値観・世界観・歴史観から宇宙観」は、全て根源が一緒ですよね。
それを総称して人間の『観念』と言えますかね?

半田
観念というよりも、世界に対する知識の組み立て方の基軸と言った方がいいだろうね。エピステーメー(知の構成場)というやつだ。

藤本 
その現代の『知識の基軸』にあるものが物質的進化であって、古代思想のような、霊的進化ではないと言う事ですか?

半田
うん、要は『宇宙=人間』であるという考え方が忘れ去られているということなんだ。
古代においては世界は人間の霊的な運動の影と見なされていたからね。
万物に霊性が宿っていると。

藤本
半田さんは、古代思想と重なっているところが多いとおっしゃっていましたが、では、ヌース理論と古代思想の違うところってどんなところなんですか?

半田
古代には今の科学のような物質的な知識はなかった。だから古代思想を基盤とした宗教や哲学は科学が提示してくる知になかなか対抗することができない。なにしろ科学は実証で成り立っているから万人に説得力を持っているわけだね。

ヌース理論の場合、科学か宗教か?物質か精神か?という二者択一的な選択はしない。物質も精神もある一つのものの異なる二つの側面にすぎない、という考え方をするんだ。ほとんどの古代思想も、同じ考え方を持っていたんだけど、その仕組みについては詳しく論じられていない。せいぜい物質は精神の影だ、と言ってるぐらいなんだ。

ヌース理論は科学的な知識を踏み台にして、逆にそれを使って、「ほら、物質って精神でしょ。」って、ロジックで証明しちゃおうという試みなんだ。

藤本
古代思想が忘れ去られ、現代科学が隆盛してきた現代では、物事を全て物質として捉えて研究されてきていますよね。
人間の身体をとっても、医学を見れば解ります。
内科・外科・精神科・眼科・耳鼻咽喉科...→脳神経科・心療内科・胃腸内科・整形外科...→さらに細かく、癌科など病名などでも細かく分かれてきています。

お医者さんも専門分野のスペシャリストで、「脳のことは誰よりも解るけど、他の事はわかりません。」なんていうお医者さんも増えてきてます。
今までは、その物質レベルの探求が進化だと思っていましたし、医学のお陰で長生きできるようになってきたということもできます。

でもココに来て、はたしてそれで良いのかって?人間を人間自体として観る視座が無くなっているような気がします。
その背景にあるものも含めて人間として観てないと思いますよね。
これからの課題は、物質か精神かの二者択一的発想ではなく、統合していく『知識の基軸』を創造していくことによって、人間がどう変革していくかって事ですよね。

半田
科学主義や物質主義が文明のプラットフォームになることを警戒する考え方というのは、20世紀の初頭からずっとあるんだよね。

でも、科学テクノロジーが持った魔術性というのは圧倒的で、それが生活の利便性や快適さにもストレートに結びついちゃうもんだから、皆が虜になってしまった。

だけど、ふと気がつくと、そのせいで人のつながりは脆弱になり、社会を維持していくためにとても重要な役割を果たしていた家族や地域社会の連帯がどんどん崩壊していっている。 

もちろん、そんなものは一度粉々に壊れちゃっていい、っていう考え方もアリだと思うけど、じゃあ、何を価値にして生きて行くんだ、というところが誰も見えていなので、皆、感情的に大きな不安を抱えて、先が全く見えなっているわけだよね。

ヌースは、存在の目的というか、人間が共通して持てる精神的価値の創造を今までの科学や哲学、そして宗教なんかとは全く違った形でやろうと考えているんだ。

藤本
うーん。なるほど!「人間はなぜ存在し、何を価値として生きているのか?」
ということを、もう一度新しく再構築していくって事ですか?

確かに、今の世の中、表面では、モノに溢れ、住む場所や着るものや食べ物にも困らず、平和に暮らしているように見えるけれど、裏面では貧富の差・自殺や殺人・自然環境の破壊・・・・などなど増え続けていて、本当の「人間の幸せ」や「人間の存在価値」を見失ってきているように思えます。

ヌース理論が追求していきたいことが、少しわかってきました。

半田
まぁ、口で言うのは簡単だけど、そのビジョンを作るってのはほんと大変。
何しろ今までのモノの見方をすべて変革しようっていうんだから、相当な発想の転換が必要になるよね。

藤本
そうですよね。未だかつて人類が創造してきたものとは、全く違う思考ですよね。
「宇宙=人間」なんて創造できませんよ(笑)。
しかし、その追求こそが、人間の存在価値なのかも知れませんね。

半田
僕の本はいつも「2013」がキーナンバーになっているんだけど、僕自身はこの「2013」をポスト・デジタルエイジとして捉えているんだ。
世の中はますますコンピュータ社会になっていっているけど、これはヌース理論の考え方からすれば一種の負荷だ。

つまり、人間が持った今までの世界観を変革させるための前触れのようなもの、とでもいうのかな。
デジタライゼーションによって人間が持った主体性はますます疎外され、人間の尊厳はどんどん脅かされていく。

だけど、最後にはあっと驚くようなドラマが起こると思ってるんだ。
オセロゲームで言えば、完全に黒で埋め尽くされそうになった盤面が、最後の奇跡的な白の一手によって、バタバタと全部まっ白に反転していく。

僕がいつも言っている物質的知識の霊的知識への反転というのはそういうイメージなんだよね。
今度の「人類が神を見る日」リニューアル版では、その具体的な意識変革の在り方を100ページぐらい書き足したんだよね。
具体的という意味で、少し難しいかもしれないけど、意識の反転トレーニングとか、4次元認識の作り方とかについていろいろ紹介しているので、是非、皆さんも読んでみて下さい。

藤本
「人類が神を見る日」は、近々、米国でも翻訳されて出版されるそうですが欧米の人たちはヌース理論に対してどんな反応をするか楽しみですね。

投稿者 right : 14:30 | コメント (0) | トラックバック