« 2008年10月 | メイン | 2009年3月 »

2008年12月17日

ロード・オブ・ザ・リング

私たちは「一体どこに向かって、一体何をしようとしているのか?」
今回のヌースDEシネマは「ロード・オブ・ザ・リング」を題材に
ヌース理論の独自な視点で語っていただきます。

【作品紹介】
はるか昔。闇の冥王サウロンは世界を滅ぼす魔力を秘めたひとつの指輪を作り出した。指輪の力に支配された中つ国では一人の勇者がサウロンの指を切り落とし、国を悪から救った。それから数千年の時を経た中つ国第3世紀。ある時、指輪がホビット族の青年フロドの手に渡る。しかし、指輪を取り戻そうとするサウロンの部下が迫っていた。世界を守るためには指輪をオロドルイン山の火口「滅びの亀裂」に投げ込み破壊するしか方法はない。そこでフロドを中心とする9人の仲間が結成され、彼らは「滅びの亀裂」目指し、遥かなる冒険の旅に出るのだった......。 (allcinema ONLINE)
road_of_the_ring1.jpg road_of_the_ring2.jpg
road_of_the_ring3.jpg

 

藤本 

「ロードオブザリング」は、3部作になっていて全部見ると9時間位になりますよね。しかし、ストーリーの素晴らしさ・展開力とCG技術の凄さに圧倒されて時間を忘れて見ちゃいました。制作費(340億円)も時間もかけているだけありますね。

半田 

2001年頃だったか、この映画を見たときはぶっ飛んだね。話の展開、キャラクター、映像、音楽、SFX、どれをとってもケチのつけようのない作品だった。一体、誰がこんな作品撮ったんだ?って、監督名を調べたらピーター・ジャクソンっていう当時はまだ駆け出しの監督さんだった。改めてハリウッドの才能の層の厚さを感じたな。

藤本 

今の物語は簡潔に言うと『闇の勢力=悪』と『白の勢力=善』の戦いですよね。闇の冥王サウロンは世界を滅ぼす魔力を秘めた指輪を作り出した。指輪の力に支配された世界で、一人の勇者(人間)がサウロンの指を切り落とし指輪を奪い国を悪から救った。数千年の時を経た世界の第3世紀のある時、その指輪がホビット族の青年フロドの手に渡る。世界を守るためには指輪をオロドルイン山の火口「滅びの亀裂」に投げ込み破壊するしか方法はない。そこで、世界を守るためにフロドを中心とする仲間が結成される。そのメンバーは、ホビット族4人・人間2人・エルフ1人・ドワーフ1人と魔法使い1人で構成されています。それぞれ特徴をもつ5種族と9人が『白の勢力=善』のメンバーとなりますね。

半田 

うん。物語構成と人物設定が極めて入念に練り込まれた作品になってるけど、これは原作が優れているからだよね。原作者のトールキンという人は元々、オクスフォード大学の古英文学の教授だった人だから、世界中の神話や伝説にもの凄く詳しかったんだよね。だから、極めて重厚な物語に仕上がっている。底辺の構図は藤本さんの言う通りハルマゲドンだね。

藤本 

神話の世界観と「ヌース理論」は似ていますよね。この物語の根本『善と悪』の構造を「ヌース理論」では、どう捉えているのですか?

半田 

この物語の中では善の象徴はフロドを助けるガンダルフ(魔法使い)や、精霊(エルフ)、人間そして、小人(ホビットの友人たち)として表され、悪の方はサウロンを筆頭とするサルマン(魔法使い)やウルク・ハイ、オークたちとして表されている。つまり、宇宙の善と悪が決戦を行なう物語だから、ベースはハルマゲドンものなんだね。でも、聖書のそれのように善と悪が明瞭に白と黒に分かれているわけでもない。善といえどもつねに悪への誘惑が存在しているわけで、それが指輪のパワーに象徴されている。

藤本 

善と悪は、常に混在しているってことですよね。物語の中では指輪を見たり触ったりすると、魔力にとりつかれ自分の中の悪が、呼び覚まされどんどん勢力が増大になっていく。

半田 

そうだね。「指輪」は権力の象徴として描かれている。権力とは「借り物の力」という意味だよね。神の力がこの地上へと降りてきたときに派生する力。それを人間が借りると権力になる。その権力を一手に引き受けているのがサウロンだ。だから、サウロンはこの地上世界を支配している神と言っていい。人間や精霊たちが指輪に誘惑されるのも、地上世界を神の名において支配したいがためだね。聖書の世界でこのサウロンに対応するのはサタンだね。聖書にはあの有名な『ヨハネの黙示録』という変なおまけがついている。そこに善と悪の最終決戦みたいなことが書いてあるんだけど、トールキンがこの話を書いた背景には、聖書の影響も絶対あると思うな。

藤本 

権力を手に入れたいと思う気持ちは、生きる者にとっての宿命みたいなものですか。人間の歴史がはじまって以来、絶えず世界のどこかで争いがあり戦争がありますよね。この物語だと、指輪をオロドルイン山の火口「滅びの亀裂」に投げ込むことによって平和を取り戻そうとするのだけれど、それは即ち権力を無くすって事になりますよね。

半田 

サウロンというのはあくまでも創造された世界における神だ。世界を創造した神じゃない。創造された世界における神は、自分では世界を作れないのだから、結局、創造された世界を蕩尽し貪っていくしかない。それを欲望として生きている。だから、サウロンが完全に世界を支配してしまうと荒涼たる砂漠や土地だけが残ることになるね。世界を支配したいとする欲望はこうした蕩尽や消費することの欲望がすべて総括されたものと考えるといいんじゃなかろうか。神の力が地上に降りてくるとロクなことにはならないってことだ。しかし、そうした世界の中で、こうした闇の権力支配に抵抗する力が働いている。それが「火」なんだ。火は光を伴っているだろ。絶望の底には必ずこの火の力が宿っていて、闇に堕ちた魂を浄化するってわけだね。

藤本

だから火山が出てくる意味があったんですね。指輪を火山に投げ入れて浄化をするってことで、世界を変革することができる。その指輪を投げ入れる役目を荷えるのは、唯一人この物語の主人公であるホビット族(小人)のフロドだけですが、フロドが選ばれた理由はなんですか。9人の中には、魔法使いのガンダルフや人間のアラゴルンや精霊・エルフのレゴラスもいたじゃないですか。なぜフロドだったんですかね。

半田 

それはホビット族の生活の中に表されていると思うな。ホビット族は人間のごくありきたりの日常を象徴しているんだ。料理をしたり、編み物をしたり、畑を耕したり,花火を楽しんだり。アラゴルンとかは武闘派でしょ。それにレゴラスやガンダルフは人間よりも高次の存在だよね。人間は高次の指導霊や守護霊に守られはするものの、霊的な進化は自分自身の意思の力でやり遂げなくちゃいけない。そして、その力は正義を主張し合う国家間の戦争や階級闘争の中にあるのではなく、たとえ貧しくても、食べたり、飲んだり、語り合ったりする、そうしたごく日常の中の取るに足らない風景の中にある。トールキンはそういうことを言いたかったんだと思うな。

藤本

ホビット族は、小人で『小さい人』と呼ばれていましたね。優しく自然を愛し、平和を好み権力には無関心な人々ですよね。そのホビット族の中でフロドを中心とした4人が、世界の命運を荷い世紀の戦いに巻き込まれていく。この世の中でも、戦争はいつもそういった人々が巻き込まれ、最前線で死んだり怪我をしたりしています。旅立ちの始まりは弱きものだった彼らが、色々な戦いや仲間たちとの巡り合いの中で、勇敢になっていきます。今、世紀を越えて人類が意識進化していく指標を提示していますよね。

半田 

寓話や神話というものは、いわば、僕らの決して変わることのない心の構造の物語なんだよね。だから、こうした質の高いファンタジー作品を観たときには、単にその物語に感動するだけじゃなくて、自分の心の中の何が物語に共振しているのかを注意深く見つめる必要がある。それによって、自分自身の「今」をより深く知ることができるし、現実生活の中での揺らぎない視点というものが作っていける。自分にとっての指輪とは何なのか、サウロンとは?火山とは?サムのような信頼できる友はいるのか?いや自分はサムのような友に成り得ているのか?アラゴルンの勇気は?ドワーフのようなユーモアは?ってね。

藤本 

そうですね。僕たちがこの物語を見て心動かされるものとは、僕たちがすでに持っているものと共振しあっているからなんですよね。そういった視点で物語の登場人物やモノを見つめると色々な場面で色々なことに気づかされますね。うーん。自分にとっての指輪かあ?半田さんにとっての指輪って何ですか?

半田 

超ひもだね。

藤本 

「超ひも」ですか?

半田 

うん、「超ひも理論」の超ひも。現在、物理学の世界では物質の究極的な要素が丸い環っかのようなものでできていると考えてるんだ。これが「超ひも」ってやつ。そして、すべての自然界の現象はその超ひもの振動から成り立っていると言われている。つまり、この超ひもが裏ですべてを司っているということさ。僕にしてみれば、これこそまさに「サウロンの指輪」以外の何ものでもない。

藤本 

えーと、ちょっと整理していいですか?「サウロンの指輪=権力の象徴」で、半田さんにとって「権力の象徴=超ひも」。そして「超ひも=自然界の現象を裏で司っている力」ということですよね?

半田 

その通り!!近代は科学の時代だった。そして、現代でも尚、科学というのは宇宙の法則性を語る唯一の道具と見られているよね。そして、その科学が物質世界の根底に、そこからすべてが創造されてきたと目される一つの指輪を発見した。それが「超ひも」なんだ。つまり、この「超ひも」は物質世界を牛耳るためのサウロンの指輪のようなものだ。映画の中にもあっただろ。サウロンの手下である魔法使いサルマンは地を掘り尽くし金属を鋳造し、森を切り倒し塔ややぐらを立てる。その結果、自然はどんどん荒廃していき、世界は色彩を失って行く。僕から見るとサルマンは科学技術の象徴のように見えるな。

藤本 

サルマンが科学技術の象徴ですか?塔の下でサウロンは、森林を伐採しそれを原材料にして、まるで製鉄工場で鉄を作るように、怪物のような邪悪な兵士をどんどん造っていましたね。確かにサルマンの兵力には、色々な兵器みたいな怪物が出てきます。科学技術を最新兵器に変え、世の中を牛耳ろうとする現代社会そのものです。

半田 

うん。これは決して穿った見方ではないと思うよ。現に科学技術は戦争とともに進歩してきたわけだし、例え、百歩譲って、僕らの生活をより快適にするために発達してきたと考えても、環境を破壊してきたことは事実だからね。科学が物質に宇宙の成り立ちを求める限り、こうした傾向は決してなくならないと思うんだよね。すべてが数値化され、色彩や音の世界までもが、デジタルなフェイクで置き換えられていく。人間の世界はもちろんのこと、ホビット庄のようなのどかな日常も、エルフたちが住む霊的な世界も全滅していく。だから、物質に世界の覇権を渡しちゃまずいわけだよ。人間の中にあるホビット的なものやエルフ的なものを再生させていかなくちゃいけないんだよね。

投稿者 right : 15:31 | コメント (0) | トラックバック