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2010年8月26日

自然の恵みに給わる 人の手仕事に感謝しよう。

『胡麻の花』
      作詞/作曲 天波

♪遠慮なんかしなくて良いョ
 ボクのためになら
 遠慮なんかしなくて良いョ
 ボクのためになら

 何千万年も生き続けた
 いのちを運ぶ一粒の種
 遠慮なんかしなくて良いョ

Come on Come on 
Come on it a lucky mouth
Come on Come on 
Come on it a lucky mouth
遠慮なんかしなくて良いョ♪

IMG_2386.jpg

 二月三月四月の熊本は
観測史上初の降雨量を記録し  
どれみ村の春野菜の出荷も
栽培エリアによっては
収穫に二十日から一ヶ月位の
遅れが出てしまいました。(涙)
雨だけでなく遅霜に春雪まで
味わってしまったのですから
無理もありませんけど...ネ。
雨が降ると畑は耕せない
無理しても体調を崩す
折角蒔いた種も雨に流され
元の木阿弥になってしまいます。
世間で大雨と言えば全国各地で
地滑りや土砂崩れと言った
大災害になることもありますが
畑の畝を連なる山脈と例えれば
そこに暮らす虫や草花にとって
規模こそ違いますが 毎回
土砂崩れや崖崩れ大洪水が
起きたのに匹敵します。
そんなことが起きたら
ましてや種は赤ちゃんですから
いのちを落とし兼ねませんョネ。
だからこそ植物たちは
沢山の種を着けるのですネ!
そしてその一粒ずつのいのちを
風や水や動物たちの力を託し
時間をかけ 色んな所に
運んでいってもらうのですネ。

 五月になっても真夏日に
なった日は僅か二日しかなく
全国のお天気ニュースを
見ていても かえって
熊本の方が気温の低い
そんな日が何度もありました。
それでも五月は晴れ雲の方が
多かったので 何しろせっせと
胡麻の種蒔きに精を出しました。
お陰で全身金胡麻色に日焼けし
何処からか来た外国人の様です。
実は 胡麻の種は村明さんが
トルコに行かれた際 
手に入れられた金胡麻の種なので
もしかするとトルコの人に
なれたのかも知れません。(笑)
 お土産に頂いた一握りの種を
五年間大切に育てて来ましたが
去年は「自給分」を別にして
そこそこの量が採れたので
今年は是非村明さん達にも
分けてあげられる様にと思い 
三月から準備をしていました。
ところがこのお天気でしょ!
結局当初計画していた
半分以下の栽培面積に
なってしまいました。(残念)
それでも後半は天気も回復し
少しでも多くの種が芽吹く様に
心に念じながら 夏野菜の
種も蒔くことが出来ました。
感謝です。(滑り込みセーフ!)

 さて今回は文中にもあった
「自給分」のお話しをします。
実はライトスタッフさんからの
提案は「自給率」でしたが
それだと一寸難しくなると思い 
エコひいきは草の根運動的に
「今の自分に何が出来る?」を
基本に進んで行きたいので
「自給分」とさせて頂きました。
内緒の話ですけど
食糧自給率なんて
権力者達が高い関税率を
カモフラージュする為の
詭弁に過ぎないのですから
だまされない様にして下さいネ。
簡単に言えば 肝心なのは
何かを生産するためには 
必ず石油・石炭・電気などの
エネルギーが必要なのです。
でも日本のエネルギー自給率は
僅か4%しかないのですから...
それに家畜を養うにしても
飼料の殆どが輸入なのですから
食糧自給率なんて考えは
全く意味を持たないことが
良く解ると思います。
 ほらネ!こんな風に
難しくなっちまうでしょ!
政府や社会の批判をしていても
自然は復活しないし
決して蘇りはしませんからネ。
だからボクは
小さな抵抗かも知れないけど
クワ一丁で友氣農行を
実践しているんです。
まぁ~自給自足を目指し
自給率100%の仙人に
なろうと思っているのでは
ありませんから くれぐれも
誤解なさらない様に...。(笑)
ボクは何はともあれ
自然が一番だと思いますし
「自分」は自然から分かれたと
勝手に解釈していますから
人も自然の一部であることを
分ち合える人たちが大好きです。
もし大好きな人がいないのなら
それこそ仙人になるかもです...。
でもボクには家族はもちろん
どれみ村で食を共に重ねる
245世帯の村明さんがいます。
平均2人家族と仮定しても
500名近い人の中には
どれみ野菜や玄米を20年
食べて大きくなった子供たちも まだ赤ちゃんも それに
お父さんにお母さんに
お婆ちゃんもお爺ちゃんも
いらっしゃいます。
ですからボクは仙人にも
ホームレスにもならずに
こうしてどれみ人生を充実して
歩んでいられるのです。(感謝)

 自然な食べ物を囲み
取り留めもない会話に和み
そして一日の疲れを
ゆっくりほぐしながら
治癒の為のエネルギーを蓄える。
そんな同じ釜の飯を食べる
許し補い合える味方たちの輪が
人を優しくしてくれるのです。
人に優しくない人が
自然に優しくなんて
出来る筈がありませんからネ。
(シーシェパードの様なのはダメよ)
古代から人と人の間に生まれた
争いが 自然をどれ程破壊して来たのでしょうか!
きっと そう言った人達は
食卓で野菜の話しや それを
作ってくれた人達のことなんて
全く話しもしないで ただ
食い物に貪りつくのでしょうネ。
 話しが少し逸れますが
3年前に世界最強の爆弾
「真空爆弾」の実験に成功した
と豪語していたロシアですが
周囲一帯の酸素を瞬時に
消し去る爆弾なんて
人だけでなく植物や動物も
瞬時に息絶えると言う事ですョ
核爆弾の様に歴史的遺産や
文化的な建造物は
破壊しなくて済むなんて
またも詭弁を使いやがって
(減農薬もある種一緒!。)
ふざけた事ぬかすんじゃね~ョ。
 おっと!ごめんなさい。
つい頭に浮かんで来たもので...。
ですから権力者のぬかす
食糧自給率なんて
考えないで良いんですョ。

 冒頭に載せた『胡麻の花』と
言う曲は「自給分」のことを
考え始めた頃でしたか?
何の因果か金胡麻と出逢い
そのことがきっかけになって
誕生した大好きな曲です。
胡麻も殆どを輸入に頼っている
ことを知っていたボクが
せめて自分の食べる分だけは
植えて見よう等と思わずに
残さず食べてしまっていたなら
めぐり逢えなかった曲と思うと
なんだか不思議でもあり 
ありがたい気持ちになります。
 日々食べ物にめぐり逢える
そのことのお陰様には
遥かな時間を超えた
多くの人たちの手の温もり  
そして様々な自然の生き物達の
営みが関わりあっています。
この奇跡的とも言える
命を繋ぐ食べ物にめぐり逢えた
幸運な自分の口に感謝しよう!
そんなメッセージが詰まった
一曲なのです。
 でも何故食べ物や
それを作る生産者にではなく 
自分の口に感謝しよう
なのだとは思いませんか?
 お金を出せば好きな時に
好きな物を好きなだけ
手に入れられる飽食の時代。
原材料も産地も良く解らない
まして生産者も解らない
それこそメーカーに
儀礼するしか無い様な
やるせない気持ちが
知らず知らずに
野菜の話しや作ってくれている
人達のことなど
全く話題にも上らない食卓を
作ってしまっているのです。
食卓なら まだましで
ファーストフードや
コンビニの食べ物に
ただ空腹を満たすだけの
野獣に成り下がって
しまっているのです。
「it a lucky mouth」の
歌詞はそんな風な心境の時に
例え生産者は見えなくても
もとのもとを辿れば
自然のものに辿り着く筈の物
食べたくても口にする物もなく
命を落としてゆく子供たちが
この地球上には
まだ大勢いるのですから
オーガニックなものでなくても
感謝して口にしようと思い
「it a lucky mouth」
「it a lucky mouth」
「いただきま~す。」と
自分に言い聞かせたのです。
でも体質に合わないのか
合わなくなってしまったのか
正直感謝の気持ちが生まれずに
結局続きませんでした。(反省)
それ以来外食を誘われた時は
「今食べたばかりなんだ!」と
相手に伝へ 同席しても
辛抱出来る様にはなれました。

 おっと もう頁がないョ。
ボクの考える「自給分」とは
全ての食料を自給しようなんて
それは得意体質の人に任せ
出来ればベランダの鉢植えで
良いですからプチトマトでも
ハーブでも自分で育てて見る
ことだと思います。もちろん
お米だって栽培できますョ。
そうすれば自然に
食べ物に感謝する優しい心が
育ってゆくと思います。
最後に朝のパン食をみなさんが
ご飯に変えるだけで
食料自給率を二%も上げる
ことが出来るのです。
朝からご飯は重たいと
思われる人は食べなければ
良いだけと思いますョ。
何しろ栄養やエネルギーは
少量のタンパク質を摂れば
自然から分かれた自分の小腸が
全て作り出してくれるのです。
 ボクは有機野菜や玄米を食べ
この大地に繋がる日本の心を
パフォーマンスしてゆきます。
「いただきアース。」

投稿者 fujimoto : 2010年8月26日 11:49

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