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2009年3月 2日

桜の花びらが舞い落ち川を流れてゆく。綺麗だナ。枯れ草や小枝が流れているとゴミと思ってしまうのは何故?

ecohiiki_2.jpg
「馴染むとは 過去を近くに感じさせ
 挑むとは 未来を引き寄せる感じ。」
そんなことを考えている小春日和の今日この頃。
球磨川の水の色を見れば季節がいつなのか解るほどここでの暮らしにも馴染み
紺碧からエメラルドグリーンに川面が色を変える十度目の春を迎えています。
 挨拶も出来ず 愛妻様のスカートの影に隠れた写真に
「たった一人ぽっちの入学式」の見出し付きで 
地元紙に紹介された球磨川に越して来てすぐの春。
その日和歌(にちわか)が高校進学の為に京都に
旅立ったのも去年の春でした。
話は前後しますが... 
まだ この地に縁する前宅配ネット「どれみ村」を立ち上げる為 
マーケットを京都に絞りスタートしたのも平成元年四月一日の春。
翌年 東京に残して来た家族を呼び寄せたのも京の都が桜に咲き誇る春でした。
因にその四年後 突然十五年ぶりに授かったのが次男の日和歌だったのです。
 時の経つのは早いもの球磨川が二度と同じ
水の流れを映さない様に時は過去へは逆流しません。
きっと春は新たな成長の為に旅立ちと別れを惜しむ季節なのかも知れませんネ。

 『天波のエコひいき』も今回で十一号になります。
グーグルで「エコひいき」と検索して見たのですが
なんと!十七万三千件もヒットしたのには驚きました。
時間も掛り とても全部を見る訳にはいきませんので 
端折って覗いてみましたが殆どのページやブログは
平成二十年発のものでしたから平成十九年三月に開始した
『天波のエコひいき』が何等かのトリガーになって
波動したかも知れませんネ?
その中にゴミのリサイクルとエコひいきを
同一化しているブログがありましたので
今号はゴミについてお話することにします。

 エコひいきの前振りとして「特別インタビュー」と言う
藤本社長との対談形式の記事にも紹介されていますが
(*注/ブログ・天波のエコひいきので見ることが出来ますので覗いてみてネ。)
ボクのデビューシングルはA面が『地球が泣いている』
B面が『あぁゴミちゃん』と言うゴミの立場に立った
切ないメッセージの曲でした。
確かTV番組の収録だったか?もう三十七年前になりますが
東京の夢の島でゴミを目の前にコンサートをしたことがあります。
人がもう使えない...とか もう必要ないと判断した瞬間
それまで大切だった物も 急にゴミとしての扱いに変わり
悪臭を放ち 積み上げられてゆくんだナと
複雑な気持ちになったのを思い出しました。
(ほら!家も人が住まないと朽ちると言うじゃないですか)
当時は環境問題ではなく公害問題と呼ばれていましたが
都市の一問題だった公の害がその周りの地域住民だけでなく
地球全体の生命に被害を及ぼす迄に成長するなんて...
いくらメディアを使い伝えても日々生活に明け暮れる人々には
実感が湧かなかったのしょう。
然るに最近では物だけではなくご亭主を粗大ゴミと言ったり
こともあろうに赤ちゃんをゴミ袋に入れて捨てたりと
三十七年前より更にゴミの解釈も量も増えてしまっています。
一体人間はどこまで傲慢になってゆくのでしょう。
人間が成長する度 ゴミも成長してゆくのを忘れてはいけません。
 あぁゴミちゃんの歌詞の中に
「幸せ過ぎれば不幸せ」と言う一節がありましたが
本当にその通りだったナと今の日本に思うところがあります。
 昭和を全速力で駆抜けたボク等の両親や祖父母達は
戦後の焼け野原とゴミの山を目の前にして只々平和を望み
家族の幸せを願った事でしょう。
そして より良い社会を求め豊かな暮らしを手にする為に
無我夢中に働いてくれました。
鍋や笊を持ってゆかなくても綺麗で軽い包装紙に包まれた
お豆腐や魚介類を受け取れるし外出せずネットで何でも買える
便利な社会を築いて来たのです。
戦後を少々かじったボクも物質的には豊かな社会になった
ナの実感と感謝もありますがしかし では何故? 
今の殆どの日本人が未来に不安を抱いているのでしょう。
音楽家として いや幼い頃から感じていた「でも何かが違う」と強情を張り 
傷付いたり傷つけたりしながらも抵抗して来たボクの感性は
当たらずとも遠うからずだったのだナと 
近年になってやっと思える様になりました。
 例えば 夜も寝ないで酒場のカウンターで接客に立ち
ボク等子供たちを育ててくれる母親に感謝していながら
遠足から帰って来た時など 両親がいない家で 
楽しかったことやびっくりしたことを
誰にも話せず 無性に淋しくて
「そんな仕事やめろヨ!」と親に向かって怒鳴りつけ
自らを捨てて ゴミの様に腐り愚れていった学生時代のボク。
そして ロックにはまり♪なんだか解んねェ~けど
 何んかが違うんだヨ~♪なんてシャウトしていたボク。
確かにそんな境遇の中でも不良にならなかった子も沢山いたと思います。 
でも♪なんだか解んねェ~けど 何んかが違うんだヨ~♪って
思ったことのある人は少なくないのではとも思います。
大人だから親だから先生だから偉いのではありませんし
何があっても絶対間違わないと言った訳でもありません。
もし完璧だったのなら百年に一度なんて言う今の世界同時不況など
起こる筈もありませんからネ。
しかし 現実の日本でも増々倒産や失業者が増え路頭に迷う人で溢れています。
犯罪の世界では人のいない家や店鋪等に入る置き引きも空巣もそうですが
コンビニや給油スタンドの店員タクシーの乗務員等を脅したり
傷つけてまで お金を奪う強盗殺人と化しています。
恐ろしい反面 社会に見捨てられたと錯覚し
自分の大切な心をゴミの様に扱ってしまっているナと
昔の自分を思い出しやるせない気持ちになります。
 
 物であれ情報であれあれよあれよと言う間に溜まってしまうもの。
その全てを常に使ったり想い出として大切に保管する訳にもいきませんし
では誰か必用な人に譲るか?とは言っても物によっては
結局のところ処分することになってしまうのがおちです。
「ならリサイクルに回せば良いじゃないか!」なんて言われるかも知れませんが
ゴミのリサイクルとエコひいきを同一化している前述しましたが 
地球にとって良いことはリデュース(減量)リユース(再利用)であって
リサイクルは誰かの商売の為に人が利用されているだけの
インチキなエゴ活動です。
サイクルが循環なのに『リ』をつけて再び循環?解んネェーヨ。
冒頭は春。春。春。と春が満開の様に書きだしたのに
何だか桜の花のつぼみがやっと咲き始めるかナ~?の
初春のテンションになってしまいました。
でも心配御無用 今年も必ず桜は咲いてくれますから...。
   「ゴミんなさいありがとう。」

投稿者 right : 2009年3月 2日 15:22

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