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2008年10月17日

ファウンテン-永遠につづく愛

私たちは「一体どこに向かって、一体何をしようとしているのか?」
今回のヌースDEシネマは「ファウンテン」を題材にヌース理論の
独自な視点で【永遠の愛】について語っていただきます。

【作品紹介】
16世紀のスペイン。そこでは征服者のトーマスが、不死を約束すると信じられている、ファウンテン・オブ・ユース(若さの泉)の捜索を開始していた。21 世紀、現代に生きる科学者トミー・クレオは、愛する妻イザベル(レイチェル・ワイズ)の命を奪おうとしている癌の治療法を探していた。26世紀の宇宙飛行士のトム(ヒュー・ジャックマン)は、千年の間思い続けていたミステリーの答えを得ようとしていた。やがて、3つの物語は、異なる時代を生きるトーマスの一つの真実として収束されてゆく...。奇才ダーレン・アロノフスキー監督が、『ニューヨークの恋人』『Xメン』のヒュー・ジャックマンと『ナイロビの蜂』でアカデミー賞受賞のレイチェル・ワイズ主演で贈る、"永遠の愛"を探す物語。


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藤本 
今回の映画は『ファウンテン-永遠につづく愛』という映画ですが、
過去・現在・未来という場面を織り込みながら物語が進んでいき
ます。僕には、少し難解でした。

半田 
この作品の監督さんはダレン・アロノフスキーといって、いつも結
構、難解な映画を撮ることで有名なんだよね。デビュー作は『π
(パイ)』という作品で、円周率をテーマにした作品だった。僕は前
々からこの監督さんのファンでね。彼の新作を今回の「ヌースDE
シネマ」で是非、取り上げたかったんだよね。

藤本 
今回の映画は、半田さんイチ押し映画ですね。この映画の物語は
中世スペインから始まります。主人公の二人は過去・現在・未来
と同じ人物で、中世スペインでは、イザベル女王と騎士トマスで主
従関係。現在では、脳腫瘍で余命幾ばくも無い愛する妻を治そう
と新薬開発をしている夫のトミーと、病気を抱えながら小説を書い
ている妻イジー。未来は、球体に乗って宇宙に浮かびながら「生命
の樹」を守るトムとそれを見守り、励ますジギー(彼女はもう死んで
いる)。この映画は現在の愛の物語ではなく、過去現在未来を繋ぐ
永遠の愛をテーマにしていますね。

半田 
サブタイトルにもあるように『永遠につづく愛』というのがテーマにな
っている。でも、普通の男女間の愛の物語だと思って観てしまうと、
たぶん何が何だか分らない映画になってしまうと思うよ。

藤本 
確かにこの映画は、集中力が必要でした。気が抜けない映画です。
まるで「ヌース理論」のレクチャーみたいですね。(笑)半田さんが言
われるように、この映画は単なる男と女の物語じゃないですよね。
「生命の樹」が象徴しているように、時空を超えた「人間の生命の営
み」をテーマにした映画だと思います。

半田 
映画の冒頭で、まるでこの映画のテーマであるかのように、旧約聖
書の言葉が引用されるよね。「楽園には二本の樹があった。一つは
知識の樹と呼ばれ、もう一つは生命の樹と呼ばれた。イブがサタン
の誘惑によって知識の樹の果実を食べたので、神は生命の樹の果
実も食べてしまうのではないかと思い、アダムとイブを楽園から追放
した」確かこんな内容だったと思うんだけど、この映画はアダムもイブ
も口にすることができなかったこの「生命の樹」の方をテーマにして
描かれているんだよね。

藤本 
神はその「生命の樹を守れ」と命令しますよね。そして物語は始まる。
その命令は人類が与えられたものと解釈をしていいのでしょうか?
私達人類の生きる目的というべきものなんでしょうか?

半田 
藤本さん、先を急ぎ過ぎだよ(笑)。この映画はあくまでもまずは夫婦
愛が切り口になっている。脳腫瘍に冒されて死の宣告を売れている
妻のイジー。そして、その妻を死なせまいと必至に新薬の開発を進め
るトミー。イジーは自分の死を受け入れ、残り少ない命をトミーとの日
々の中で生きたいと願っている。しかし、トミーはイジーの死が受け入
れられず、何とか自分の開発中の薬でイジーの病気を治すことだけを
考えている。だから、イジーとなかなか一緒にいてやる時間が取れな
い。この矛盾の中で互いが苦しむ。

藤本 
先を急ぎすぎましたね(笑)。場面の中で、イジーがトミーに「初雪が
降ってきたよ。一緒に散歩に出かけない?」って誘うけど、トミーは
イジーを助けるために新薬の開発に没頭していて「後でね。」って断
るシーンが何度か繰り返されて出てきます。夫婦や親子など人間関
係における『すれ違い』ですよね。

半田 
うん。あのシーンのリフレインはこの映画の中でも最も重要な伏線
になっているね。肉体としての生命を救うことが最も大事だと考え
ているトミーと、心としての生命にこそ意味があると考えているイジ
ー。これは男性性と女性性の典型的な違いと言っていいのかもしれ
ない。トミーは時間に縛られ、イジーは時間から解放されている。こ
の映画のテーマである「永遠につづく愛」の「永遠」というのは、実は
時間的な永遠のことを言ってるんじゃないんだよね。永遠というのは
実は一瞬の中に宿っている。トミーとイジーのすれ違いは、まさにこ
の永遠観の違いから来てる。

藤本
 「永遠」という言葉は知っているけど、そのイメージはし難いですよ
ね。男だから余計にそうなんですかね?「永遠」って過去(今より前
/生まれ前まで含む)・現在(今この一瞬)・未来(今より後/死後も
含む)の時間の流れをイメージしてしまいますが・・・。永遠観の違い
って、もっと詳しく教えてください。

半田 
簡単に言うと、今に生きるか、過去や未来に固執して生きるかって
ことだろうと思うよ。こういう言い方すると語弊があるかもしれない
けど、一般的に言って男性は社会的動物だから、時間や空間に縛
られている。つまり、理性に傾きがちなんだ。この映画でもトミーに
とっては永遠の命というと中米グアテマラの植物から抽出した成分
をもとに細胞を復活させる新薬の開発に躍起となっている。トミーに
とっては永遠の生とはあくまでもこの地上で肉体を持って生長らえ
ることなんだね。でもイジーは違う。イジーは肉体の死を決して死だ
とは思っていない。だから死に対してさして抵抗をもっていない。一
瞬一瞬を大事に生きることこそがイジーにとっての「生」であり、それ
をないがしろにすることの方がむしろ「死」のイメージに近い。だから、
イジーは残されたわずかな「今」をトミーと一緒にいたいって思う訳
だ。その意味でイジーにとっては「今」にすべてがあるわけだよ。
イジーはトミーにそのことに気づいて欲しかった。だから自分のその
想いを託して永遠の生の物語を書いた。そして言う訳だ。「この物語
を完成させるのはトミー、あなたよ。」って。

藤本
そうですね。「死」のイメージは、「肉体的な死」として捉えてしまい
それ以降は、解らない、もしくは存在しないって感じです。どうして
も肉体的時間の呪縛に陥ってしまいます。ヌース理論で、今この
一瞬に過去も未来も存在すると言われていますね。イジーの書こ
うとしている小説は、どんなものなのですか?

半田 
男が女を理解するということだよ。もちろん、この映画の場合、男と
女と言っても単なる人間の男女のことではなくて、宇宙的な男性性
が宇宙的な女性性を理解することの意味をトミーとイジーの関係に
重ね合わせている。つまり、理性と感性の統合とでもいうのかな。
月並みな言い方をすれば左脳と右脳の統合と言ってもいいと思う。
現在,宇宙的な女性性というのは人間の無意識の中に眠っている。
意識の前に出てくるのは、いつも、理性的な部分ばかりであって、
この理性は読んで字のごとく、「理=ことわり」なわけだから、事物を
分断して分析的に見る力なんだよね。だから、全体性を統合して直
観的に見る力が弱い。男が女の直観にやられるのは、全体の洞察
は女の方がはるかに強かったりするでしょ(笑)。その意味で、宇宙
の真理はむしろ女性性の中、つまり無意識や感性の中に眠っている。
映画の中でイジーは転生した未来のトミーの前にも出て来て、「物
語を完成させて.........」と訴えかけるよね。そして、イジーがトミー
を散歩に誘うシーンが何度もリフレインされる。

藤本 
男が女を理解することは、「理性と感性の統合」であるということで
すか。それは、宇宙の真理を探究していくこと。「生命の樹」を育む
こととも、もちろん関係してくるってことですよね。イジーは、そのこ
とを小説として描きたかった。そして、その最終章をトミーに託して
死んで行くのですね。トミーは最終章を書くために何を考え、何をす
ればよかったのでしょうか?

半田 
この映画ではあたかもトミーの前世、来世の姿のようにして、大航
海時代のスペイン時代の騎士トーマスと奇妙な宇宙船に乗ったト
ムが登場する。トーマスはイジーの前世とも言えるスペイン女王イ
ザベラの勅命を受けて、中米マヤの奥地に生息するという生命の
樹を探索する旅に出る。トムも同じだ。宇宙船に乗ってマヤ人たち
の伝説の星シバルバへと永遠の命の秘密を探る宇宙航海に出て
いる。ここで描かれている過去、現在、未来は決して因果法則に縛
られた時間の流れじゃない。過去も現在も未来も、今すべて同時に
あると考えられた視点での過去、現在、未来なんだよね。だから今、
現在を変えることで過去も未来も同時に変わる。イジーがトミーに
託したのはそうした「今」に気づくことだったんだと思う。そして、トミ
ーはついにそのことに気づく。

藤本 
それに気づいたトミーは、どう変わって行ったのですか? 最後にお
聞かせください。

半田
 
その変化がまさにこの映画のクライマックスとして描かれていたよ
うに思う。それはイジーが死んだ後のトミーの回想シーンとして現
れる。例のイジーがトミーを散歩に誘う場面だよね。トミーはイジー
の病気を治す新薬の研究で頭が一杯で散歩どころじゃない。だか
らイジーがいくら誘っても散歩には出ない。いかにも「おまえには
オレの気持ちが分らないのか。」と言わんばかりにね。でも、トミー
はイジーを失って初めて自分が間違っていたことに気づく。そこで
場面は、ガラリとイジーがトミーを散歩に誘う場面に移り、そこで再
び過去がリフレインされる。しかし、この過去はもうかつての過去じ
ゃない。 トミーは優しく微笑んでイジーの申し出を受ける。ここなん
だよね。この映画のキモは。このトミーの心の変容がそれこそ過去
の騎士トーマスの世界も未来の飛行士トムの世界も激変させる。
今の思いが過去も未来も変容させたわけだ。騎士 トーマスはマヤ
の族長に刺し殺されたはずだったのに、悟りを得た賢者として崇め
られ生命の樹のもとに案内される。飛行士トムが乗った宇宙船(も
しくは彼の魂)は黄泉の星シバルバと一体化し、光の世界の中に
入る。つまり、ここでトミーの魂は前世からも来世からも解放された
わけだ。今をどう生きるか。すべてのときは今に集約されて息づい
ている。だから、この「今」の有り様を変えさえすれば過去だって未
来だって大きく変えられる。いや、過去や未来さえをも飛び越えて、
永遠の中で生きることになる。これがこの作品の最も伝えたかった
メッセージだったと思うよ。すべてが 「今」なんだね。

藤本 
少しモヤモヤしてたのが、スッキリしてきました。ありがとうございま
した。そうそう、遂に『人類が神を見る日・英語版」が出版されまし
たね。おめでとうございます。

投稿者 right : 2008年10月17日 17:06

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